私が中学生だった頃のことです。
私の家の並びに犬を飼っている家があり、その犬をいつも散歩させているお兄さんがいました。
私の部屋の窓から、犬を連れたお兄さんの姿をよく見かけました。
何度か見ているうちに、私はだんだんそのお兄さんのことが気になるようになりました。
お兄さんは、高校生くらいだったと思います。
当時大好きだった漫画『ちいさな恋のものがたり』のチッチとサリー。

年上で背のスラッとしたお兄さんをサリー、私を小さなチッチに重ね合わせていました。
私は、夕方になると窓を覗きながらお兄さんが通るのを待つようになりました。
お兄さんは、私の家の前を通って裏の田んぼで犬を散歩させていました。
私は用もないのに田んぼに行って、わざわざお兄さんのそばを通ってみたりしました。
でも、一度も言葉を交わしたことはありませんでした。
まさに私は、チッチのような淡い片思いをしていました。
そんな日が続いた頃、お兄さんの家のワンコに赤ちゃんが生まれました。
多分、母親同士の話でそういうことになったのだろうと思うのですが、生まれた赤ちゃんの1匹を私の家で飼うことになりました。
子犬は、お兄さんが連れてきました。
父とお兄さんが話す様子を私はドキドキしながら見ていました。
子犬は『エス』と名づけました。
エスは徐々に我が家に慣れ、私もエスを連れて散歩に出るようになりました。
お兄さんと一緒に散歩ができたら素敵だろうなとそんな日が来ることを夢見ていましたが、積極的に声をかけることなんて私にはできませんでした。
一度だけ、散歩でばったり会ったお兄さんに思い切って「こんにちは」と声をかけたことがありますが、お兄さんは真っ赤な顔して挨拶を返してくれただけでした。
私は、毎晩のように
「チッチとサリーのようになれますよーに」
と願いながら眠りました。
私の淡い初恋でした。
それからしばらくして父の仕事の関係で熱海へ1泊旅行へ行きました。
家庭内工業だったので、従業員の慰安旅行に私たち家族も付いて行きました。
その旅館の私たちの部屋にコザクラインコが舞い込んできました。
色彩のきれいなインコで、とても人に馴れていました。
手を出せば指に乗ってくるし、肩に止まってじっとしていました。
旅館の人に聞いたのですが、飼い主もわからず、
「できれば、飼って欲しい。」
と言われて、そのまま連れて帰りました。
家に帰ってからは、鳥小屋や餌の用意で大わらわでした。
インコを連れてきたばかりだったので、みんなの関心はインコに集まりました。
1晩留守にした挙句、見慣れない鳥を連れ帰り、みんなで鳥を見てワイワイ言っているのを見て、エスはやきもちを焼いたようです。
「自分はかわいがられていない・・・」
と思ってしまったようです。
その晩、エスは家出しました。
どこかへ行ったきり何日も帰ってこなくて、私たちはずいぶん心配しました。
数日経って、エスはやっと帰ってきたのですが、帰ったのは元の飼い主のお兄さんの家でした。
お兄さんがエスを抱いて、私の家に連れてきました。
当時は野犬がたくさんいたので、エスは野犬にやられて傷だらけでした。
お兄さんは、私たちに非難めいた目を向けました。
「ちゃんと可愛がってくれていますか?」
と言われたようで、ショックでした。
決してかわいがっていなかったわけではないんですけど・・・。
それ以来、私は何となくお兄さんと顔を合わせるのを避けるようになりました。
あのお兄さんの目が忘れられなかった。
そして、いつの間にかお兄さん一家はどこかへ引っ越して行ってしまいました。
それも後になって、母から聞いた話です。
淡い思い出ですが、苦い思い出でもあります。
私の家の並びに犬を飼っている家があり、その犬をいつも散歩させているお兄さんがいました。
私の部屋の窓から、犬を連れたお兄さんの姿をよく見かけました。
何度か見ているうちに、私はだんだんそのお兄さんのことが気になるようになりました。
お兄さんは、高校生くらいだったと思います。
当時大好きだった漫画『ちいさな恋のものがたり』のチッチとサリー。

年上で背のスラッとしたお兄さんをサリー、私を小さなチッチに重ね合わせていました。
私は、夕方になると窓を覗きながらお兄さんが通るのを待つようになりました。
お兄さんは、私の家の前を通って裏の田んぼで犬を散歩させていました。
私は用もないのに田んぼに行って、わざわざお兄さんのそばを通ってみたりしました。
でも、一度も言葉を交わしたことはありませんでした。
まさに私は、チッチのような淡い片思いをしていました。
そんな日が続いた頃、お兄さんの家のワンコに赤ちゃんが生まれました。
多分、母親同士の話でそういうことになったのだろうと思うのですが、生まれた赤ちゃんの1匹を私の家で飼うことになりました。
子犬は、お兄さんが連れてきました。
父とお兄さんが話す様子を私はドキドキしながら見ていました。
子犬は『エス』と名づけました。
エスは徐々に我が家に慣れ、私もエスを連れて散歩に出るようになりました。
お兄さんと一緒に散歩ができたら素敵だろうなとそんな日が来ることを夢見ていましたが、積極的に声をかけることなんて私にはできませんでした。
一度だけ、散歩でばったり会ったお兄さんに思い切って「こんにちは」と声をかけたことがありますが、お兄さんは真っ赤な顔して挨拶を返してくれただけでした。
私は、毎晩のように
「チッチとサリーのようになれますよーに」
と願いながら眠りました。
私の淡い初恋でした。
それからしばらくして父の仕事の関係で熱海へ1泊旅行へ行きました。
家庭内工業だったので、従業員の慰安旅行に私たち家族も付いて行きました。
その旅館の私たちの部屋にコザクラインコが舞い込んできました。
色彩のきれいなインコで、とても人に馴れていました。
手を出せば指に乗ってくるし、肩に止まってじっとしていました。
旅館の人に聞いたのですが、飼い主もわからず、
「できれば、飼って欲しい。」
と言われて、そのまま連れて帰りました。
家に帰ってからは、鳥小屋や餌の用意で大わらわでした。
インコを連れてきたばかりだったので、みんなの関心はインコに集まりました。
1晩留守にした挙句、見慣れない鳥を連れ帰り、みんなで鳥を見てワイワイ言っているのを見て、エスはやきもちを焼いたようです。
「自分はかわいがられていない・・・」
と思ってしまったようです。
その晩、エスは家出しました。
どこかへ行ったきり何日も帰ってこなくて、私たちはずいぶん心配しました。
数日経って、エスはやっと帰ってきたのですが、帰ったのは元の飼い主のお兄さんの家でした。
お兄さんがエスを抱いて、私の家に連れてきました。
当時は野犬がたくさんいたので、エスは野犬にやられて傷だらけでした。
お兄さんは、私たちに非難めいた目を向けました。
「ちゃんと可愛がってくれていますか?」
と言われたようで、ショックでした。
決してかわいがっていなかったわけではないんですけど・・・。
それ以来、私は何となくお兄さんと顔を合わせるのを避けるようになりました。
あのお兄さんの目が忘れられなかった。
そして、いつの間にかお兄さん一家はどこかへ引っ越して行ってしまいました。
それも後になって、母から聞いた話です。
淡い思い出ですが、苦い思い出でもあります。