はーちゃんの気晴らし日記

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文通の思い出

2007年03月30日 | 回顧録
なんとなく、昔のことを思い出したので書いてみます。

私が子供の頃、さすがに電話はありましたけど、まだまだ手紙が主流でした。
そして、当時は「文通」というのが流行でした。
顔も知らない遠方の人と手紙のやり取りをする。
当時は『ペンフレンド』とか『ペンパル』とか言いました。

中学時代のことです。
当時はどの雑誌にも文通欄があり、
『ペンフレンドを求む!』
というページがありました。
以前にも書きましたが、私は中学・高校と女子ばかりの学校だったので、男の子に憧れがありました。
でも、実際に交際したり話をしたりするほどの勇気もなく、そういう意味では文通はうってつけでした。

初めて文通した男の子は、岐阜の人でした。
『文通を求む』という人のところへ手紙を出したところ、折り返し私が手紙を出した人とは別の人から手紙が来ました。
多分、雑誌に載った人にたくさんの人から手紙が来たのだと思います。
それで、私には友達を紹介することにしたようです。
確か同学年だったと思います。
どんなことを書きあっていたのか、すっかり忘れてしまいましたが、しばらく文通が続きました。
そのうち相手が写真を交換したいと言い出し、お互いに写真を送りあいました。
相手の写真が送られて来て、それがきっかけで文通は終わりになりました。
今思えば、きりっとした男前だったような気がするのですが、当時の私にとっては、タイプじゃなかった。
くりくり坊主頭がショックだったのを覚えてます。
今ならそんなのもなんてことないのにな~

その後、少女雑誌の似顔絵コーナーに漫画の主人公の似顔絵を投稿しました。
自分でも全然似ていないと思ったのですが、丁寧に一生懸命書いたのを覚えています。
それが良かったのか採用されて、似顔絵コーナーに載りました。
ホントに全然似てなかったのに。

個人情報にうるさい今では考えられないことですが、当時は似顔絵の横に書いた本人の住所も名前も書かれていました。
そうしたら驚いたことに、「文通してください」という手紙が全国から届いたのです。
特に文通欄に載った訳でもないのに、男の子からも女の子からも、ずいぶんの数の手紙が来ました。

そんなに大勢の人と文通できるわけもなく、私は長い時間をかけて、一人一人に断りの手紙を書き、一人だけなんとなく気に入った人と文通をすることにしました。
何が気に入ったって、名前の響きと手紙に書かれた文字だったかなぁ。

新潟に住んでいる人でした。
文通を始めてすぐというより、初めて返事を書いた段階で、その人からガラスケースに入った佐渡おけさを踊る日本人形が送られて来てビックリ。
その人形の顔がとても上品できれいな顔をしていたので、なんとなくその人にも好感を持ちました。

母と相談してお返しに何か送った気がするのですが、自分の送ったものは覚えていません。
その人とは、ずいぶん長く文通したとように思います。
そして、春休みに横浜まで出てくるという手紙が来て、会いたいということでした。
当時東京に住んでいた私ですが、一人で横浜まで出かけるには遠すぎる気がしたのと、そのときに本人確認のために同封してきた写真を見て、余計に会いに行く気をなくしてしまいました。
そして、そこでその人との文通も終わってしまいました。

文通と言うのは顔を知らないため、自分なりにイメージを膨らませてしまい、実物を見てしまうと思っていた人とは違うケースも多く、それがきっかけでダメになることが多かったなと思います。

ブログもイメージを膨らませるという意味では、それに似たようなものがありますね。

もっとも私は、ブログで男女交際は求めてませんが。

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