先週末からニュースになっている三重県の中学生のことです。
花火見物の帰りに消息不明になり、遺体で発見されました。
今までもこのようなニュースは数限りなくあったように思います。
このようなニュースを聞くたびに、私は自分の子供の頃の事を思い出します。
昭和30年代の頃の事です。
私は、当時小学校の3~4年生だったと思います。
私の家は自営業でした。
父と母とほんの少しの使用人で家業を営んでいました。
母は朝から晩まで家事と家業に追われていました。
小学生だった私は、夕方になるとよく母と一緒に夕飯の買い物に行きました。
母が忙しくて買い物に行けない時は、私が頼まれて母の代わりに買い物をしました。
母はうどんが好きで、よく夕飯にうどんを食べていました。
他の人はご飯なのですが、自分だけうどんにしていました。
それほどうどんが好きだったんだと思います。
近くにうどん専門の店があり、私はたびたび母に頼まれてうどんを買いに行きました。
駅へ行く道を少し反れた場所にうどん屋さんがあります。
メインの通りを曲がり、うどん屋さんに行くまでのほんの少しの距離に左右とも木々に囲まれた場所がありました。
片側は大きな地主さんの家で、こんもりした木に囲まれ、家がどこにあるのかわからないほど広い敷地でした。
その反対側は小さな雑木林でした。
その木々に囲まれた場所を通り過ぎるとうどん屋さん、米屋さん、氷屋さんと3軒お店が連なり、その先は住宅街だったのですが、そこに行くまでは、街灯もなく暗い道でした。
その日も、母に頼まれて私はうどんを買いに行きました。
駅の途中の道を曲がり、うどん屋さんの方向に向かい、木々に囲まれた暗い道に来た時、私は誰かに背後からいきなり両手で目隠しされました。
一瞬、私は知り合いのいたずらだと思いました。
相手は中学生くらいだと思いました。
知っている誰かが、私を驚かせようとしていきなり目隠しをしてきたんだと思いました。
私は、特に警戒することもなく
「誰?誰なの?」
と問いかけました。
私の後ろから目隠しをしている人物はそれに答えることなく、黙ったまま私から手を離すことはなく、無理矢理私を暗がりの林の中に連れ込もうとしました。
それでも、私はまだ警戒心を抱くことはありませんでした。
その相手は知り合いの誰かで、単純にいたずらをしていると思っていました。
「誰?誰なの?何?何なの?」
と、私は言い続けました。
すると・・・もう一人の声がしました。
「おい!誰か来たぞ!」
と。
その瞬間、私を押さえつけていた手は緩み、二人の男の子がさっといなくなりました。
目隠しを解かれた私は、道路に立ったままでした。
ただ、呆然と道路に立っていたと思います。
そこへおばさんが通りました。
もう一人が「誰かが来た!」と言ったのは、そのおばさんの事だったんだろうと思いました。
当時、一般家庭には、テレビも電話もありませんでした。
情報も今のように多くはありませんでした。
なので、私にはその時のことが、自分の身に起こった大きなこととは思いませんでした。
その後、普通にうどん屋さんへ行き、母に頼まれたうどんを買って家に帰りました。
家に帰って、母にその時の事を話しました。
母は、
「嫌ねぇ・・・」
と言っただけでした。
私が何事もなく無事に帰ったからかもしれません。
今なら、すぐに警察に届けて・・・・と言うことになったと思いますが、母は「嫌ねぇ」と言っただけで、特別なリアクションはなかったように思います。
そんな時代でした。
それ以降、暗くなってからの買い物を頼まれることはなくなりました。
私はそれ以上のことは何もありませんでしたが、似たようなニュースを聞くとその時のことを思い出します。
もう55年近く前のことなのに、私は未だにその時の事を鮮明に覚えています。
あの時の暗がりの中の周りの景色、相手はよくわかりませんでしたが、中学生くらいの二人組、そしてその時通りかかった中年女性の事、今でもそれらの事は、頭の中から消し去ることはできません。
もしもあの時、あのおばさんが通りかからなかったら、私はどうなっていたのか?
当時は、今ほど犯罪も大掛かりではなかった時代です。
相手が中学生くらいの男の子だったので、生死にかかわるような大きなことにはなっていなかったのかもしれませんんが、心に大きな傷を追うような事態もあったかもしれません。
それを思うとぞっとします。
花火見物の帰りに消息不明になり、遺体で発見されました。
今までもこのようなニュースは数限りなくあったように思います。
このようなニュースを聞くたびに、私は自分の子供の頃の事を思い出します。
昭和30年代の頃の事です。
私は、当時小学校の3~4年生だったと思います。
私の家は自営業でした。
父と母とほんの少しの使用人で家業を営んでいました。
母は朝から晩まで家事と家業に追われていました。
小学生だった私は、夕方になるとよく母と一緒に夕飯の買い物に行きました。
母が忙しくて買い物に行けない時は、私が頼まれて母の代わりに買い物をしました。
母はうどんが好きで、よく夕飯にうどんを食べていました。
他の人はご飯なのですが、自分だけうどんにしていました。
それほどうどんが好きだったんだと思います。
近くにうどん専門の店があり、私はたびたび母に頼まれてうどんを買いに行きました。
駅へ行く道を少し反れた場所にうどん屋さんがあります。
メインの通りを曲がり、うどん屋さんに行くまでのほんの少しの距離に左右とも木々に囲まれた場所がありました。
片側は大きな地主さんの家で、こんもりした木に囲まれ、家がどこにあるのかわからないほど広い敷地でした。
その反対側は小さな雑木林でした。
その木々に囲まれた場所を通り過ぎるとうどん屋さん、米屋さん、氷屋さんと3軒お店が連なり、その先は住宅街だったのですが、そこに行くまでは、街灯もなく暗い道でした。
その日も、母に頼まれて私はうどんを買いに行きました。
駅の途中の道を曲がり、うどん屋さんの方向に向かい、木々に囲まれた暗い道に来た時、私は誰かに背後からいきなり両手で目隠しされました。
一瞬、私は知り合いのいたずらだと思いました。
相手は中学生くらいだと思いました。
知っている誰かが、私を驚かせようとしていきなり目隠しをしてきたんだと思いました。
私は、特に警戒することもなく
「誰?誰なの?」
と問いかけました。
私の後ろから目隠しをしている人物はそれに答えることなく、黙ったまま私から手を離すことはなく、無理矢理私を暗がりの林の中に連れ込もうとしました。
それでも、私はまだ警戒心を抱くことはありませんでした。
その相手は知り合いの誰かで、単純にいたずらをしていると思っていました。
「誰?誰なの?何?何なの?」
と、私は言い続けました。
すると・・・もう一人の声がしました。
「おい!誰か来たぞ!」
と。
その瞬間、私を押さえつけていた手は緩み、二人の男の子がさっといなくなりました。
目隠しを解かれた私は、道路に立ったままでした。
ただ、呆然と道路に立っていたと思います。
そこへおばさんが通りました。
もう一人が「誰かが来た!」と言ったのは、そのおばさんの事だったんだろうと思いました。
当時、一般家庭には、テレビも電話もありませんでした。
情報も今のように多くはありませんでした。
なので、私にはその時のことが、自分の身に起こった大きなこととは思いませんでした。
その後、普通にうどん屋さんへ行き、母に頼まれたうどんを買って家に帰りました。
家に帰って、母にその時の事を話しました。
母は、
「嫌ねぇ・・・」
と言っただけでした。
私が何事もなく無事に帰ったからかもしれません。
今なら、すぐに警察に届けて・・・・と言うことになったと思いますが、母は「嫌ねぇ」と言っただけで、特別なリアクションはなかったように思います。
そんな時代でした。
それ以降、暗くなってからの買い物を頼まれることはなくなりました。
私はそれ以上のことは何もありませんでしたが、似たようなニュースを聞くとその時のことを思い出します。
もう55年近く前のことなのに、私は未だにその時の事を鮮明に覚えています。
あの時の暗がりの中の周りの景色、相手はよくわかりませんでしたが、中学生くらいの二人組、そしてその時通りかかった中年女性の事、今でもそれらの事は、頭の中から消し去ることはできません。
もしもあの時、あのおばさんが通りかからなかったら、私はどうなっていたのか?
当時は、今ほど犯罪も大掛かりではなかった時代です。
相手が中学生くらいの男の子だったので、生死にかかわるような大きなことにはなっていなかったのかもしれませんんが、心に大きな傷を追うような事態もあったかもしれません。
それを思うとぞっとします。