はーちゃんの気晴らし日記

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いとこの結婚--Hちゃん

2012年09月13日 | 回顧録
私の母方のいとこの結婚の事です。

埼玉の森林公園へ行った時、途中で懐かしい地名を見つけました。
私が小さい頃住んでいた所です。
私がいた頃は森林公園はありませんでしたが、私のふるさとと言える場所と比較的近い場所なんだ!と思いました。
現在そこには、いとこが住んでいます。
森林公園へ行ったのをきっかけにいとこの事を思い出しました。

私のいとこのHちゃんは、母の一番上のお兄さんの子供で、一人っ子でした。
私が生まれた年にHちゃんのお父さんである母の兄は亡くなってしまっていて、私は一度も会ったことはありません。
写真すら見たことがないので、母のお兄さんがどんな人なのか全く知りません。
町内会の会合で打ち合わせ中に突然倒れて、そのままになってしまったと聞いています。

いとこと言っても、Hちゃんは私よりずっと年上でした。
私が6~7歳くらいの頃に、Hちゃんはもう高校生だったので、多分10歳以上離れていると思います。
母の実家だったその家で、Hちゃんは、祖母と叔母とHちゃんの女ばかり3人で暮らしていました。

私が7~8歳の頃、祖母が亡くなりました。
「今から思えば癌だったんだろう」
と母は後になって言っていました。
昔の田舎の事ですから、入院などせずにそのまま亡くなったのかもしれず、正式な病名すらはっきりしていない感じです。

葬儀も家で行われ、大きな丸い棺の中に祖母が座るようにして入っていたのを思い出します。
棺の上から見下ろした祖母は、灰色になった髪をきれいに結って、目を閉じていました。
亡くなったという実感はありませんでした。
今にも、ニコニコして
「あれっ、遊びに来たんかい?」
と言ってくれそうでした。

当時は土葬だったんです。
みんなでぞろぞろと祖母の棺と共にお墓まで歩き、大きな穴を掘って棺ごと埋めました。

祖母の葬式が済み、親戚一堂が家に入り、供養のために集まりました。
私は、家の中には入らず、年齢の近いいとこ達と外でボール投げをしたりして遊んでいました。

すると、突然大きな泣き叫ぶ声が家の中から聞こえました。
その途端に土間の扉が開き、Hちゃんが飛び出してきました。
「こんな家、燃えちゃえば良いんだ!」
と、Hちゃんは泣きながら叫んでいました。
外で遊んでいた私達は、びっくりして遊ぶのを止め、その様子を呆然と見ていました。
いつも私が遊びに行くと、やさしく接してくれたHちゃんの様子に驚くばかりでした。

後になって母から聞いた話ですが、祖母が亡くなり、残されたのはHちゃんと叔母の女二人だけ。
母の実家は本家だったため、それなりの財産があったようです。
それで残された家や田畑を守るため、Hちゃんが婿を取って家を守らなければならないという話がその時話されたようです。

その時のHちゃんはまだ高校生でした。
夢見る文学少女でした。
高校を卒業してからの夢がいっぱいあったんだと思います。
それなのに突然湧いた結婚の話は、Hちゃんにとっては自分の人生を狂わせてしまう出来事だったと思います。

それから間もなくしてHちゃんの結婚式に私達が行くことになったので、Hちゃんの気持ちは全く考慮されずに結婚の話が進んで行ったんだろうと思います。

結婚式は今のように式場ではなく、家で行われました。
式の当日、私達が母の実家であるHちゃんの家に着くと、何となく家の中の雰囲気が変でした。

どうしたのかと思ったら、Hちゃんが朝、美容院へ行ったまま戻ってこないということでした。
とっくに戻っても良い時間なのに戻ってこない。
大人たちは大騒ぎでした。
徐々に式の時間が迫っています。
でも、Hちゃんは戻ってきません。
どこでどうしてしまったのか。

当時は、家の電話すらない時代です。
みんなが庭に集まり、右往左往している中、一台の黒いハイヤーがスーッと入ってきました。
Hちゃんでした。
大人たちが一斉に車に集まりました。
「どこでどうしていたんだ!?」
という詰問の声にHちゃんは、平然と
「映画を見てたのよ。」
と答えました。

みんな唖然とした顔をしていましたが、怒っている時間もないくらいで、とにかく本人が式に間に合ったことでほっとしたようです。
Hちゃんはすぐに式の支度のため、家の中に消えました。
その後、式が行われたはずですが、私には式の記憶はほとんどありません。
でも、花嫁姿のHちゃんがご主人となる人と床の間の前に並んで座り、盃を持っていたような気もするのですが、それはHちゃんの結婚式ではなく、映画やドラマで見たシーンだったのかもしれません。

式を終えた後、花嫁姿のHちゃんと私は並んで写真を撮りました。
それは、白黒写真と共にはっきり覚えています。
まだ10代の若い若いきれいな花嫁さんでした。

その日の夜、結婚後の宴会が開かれました。
私はその時、初めてHちゃんのご主人となる人を紹介され、話をしました。
Hちゃんとは、かなり年が離れていた気がします。
学校の先生をしていたそうですが、この結婚を機に退職しHちゃんの家の農家を継ぐということでした。
目の澄んだやさしそうな人だと思いましたが、私にとっては義理の従兄弟というより年の離れたおじさんという感じでした。

その後、Hちゃんは、3人の子供を生みました。
長女は学校の先生になり、長男は公務員、次男が家業を継いでいるようです。

結婚後、Hちゃんの家は米作りをやめ、花作りを始めました。
それもご主人の提案だったようです。
田畑を売り、家の敷地に大きなビニールハウスを作り、シクラメンやプリムラの栽培を始めました。
Hちゃんのご主人は、私達が夏休みや冬休みに遊びに行くと、いつもお手製のうどんを打ってくれました。
そのうどんがおいしかった!
その頃には、私もHちゃんのご主人とはずいぶん打ち解けて話をするようになっていました。

文学少女だったHちゃんは、家業の合間に本を読んだり、短歌を作ったりしていたようです。
年賀状はいつも毛筆で自作の短歌を書いて来ていました。
年の離れたご主人は、現在あまり体調が良くなさそうで、Hちゃんは90歳を過ぎた母親とご主人の介護で忙しくしているようです。

Hちゃんは、全くお化粧などしたことのない田舎の女性でしたが、顔立ちはきれいな人でした。
テレビ朝日のニュースステーションの小川彩佳アナウンサーを見ると、若い頃のHちゃんを思い出します。
今でこそおばあさんですが、大きな目と鼻筋が似ているような気がしています。

Hちゃんも別の時代に生まれていたら、もっと別の人生が送れたんだろうと思います。
人の人生が幸せかどうかなんて他人が決めることではないので何とも言えませんが、現在は子供と孫に囲まれて、それなりに幸せなのかなと思います。


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