まめたろうの学級閉鎖は、今日で三日目となり、明日から学校へ行くようです。
明日から学校と言っても、明日は金曜日なので、一日行っただけで、またすぐにお休みになります
宿題も、めでたく全部終わったようです。
まめが学校がお休みのため、ツブは毎朝不機嫌だとか。
「どうして、お兄ちゃんは学校へ行かないの?」
「ボクも幼稚園へ行きたくない。」
とゴネるらしい。
ツブは、幼稚園が嫌いとか幼稚園が楽しくないというわけではなさそうですが、家にいるほうが良いらしい。
幼稚園へ行ってしまえば、それなりに楽しく過ごしているようですが、行くまでが大変みたいです。
幼稚園でも、多少はインフルエンザはあるようですが、幼稚園の場合は、ほとんどが園全体での活動になるので、クラスだけ閉鎖しても、あまり意味はなく、あまりひどく流行するようなら、園全体が閉鎖になるんだろうということでした。
先日、浜松の小学校で学校閉鎖がありました。
原因はノロウィルスでしたが、最近では学校閉鎖は珍しいことと、テレビのワイドショーで言っていました。
そうなんだ~
それで、私が小学生の頃の頃を思い出しました。
私が小学校2~3年生の頃だったと思いますが、インフルエンザになりました。
高熱が出て、お腹が痛くなりました。
下痢が続き、とても辛かったのを思い出します。
学校を休んで、母に連れられて病院へ行きました。
当時の病院は、特に待合室などはなく、診察室の横の廊下に背もたれのない硬い木の長いすが置かれていました。
私は腹痛が続く中、その長いすに横になっていましたが、時折襲ってくる腹痛のたびにトイレに行きました。
その病院は、当時ではまだ珍しい水洗トイレでしたが、当時の水洗トイレは、流れが悪く、よく詰まったりしていました。
汚い話ですが、診察を待っている間、腹痛のため、病院のトイレに通ったもののそんな流れないトイレで、参りました。
今、思えば、B型のインフルエンザだったんだろうと思います。
今なら、インフルエンザの疑いがある患者さんは、すぐに別の待合室に隔離されますが、当時は、インフルエンザの診断でも、隔離したり、特に対処するような時代ではありませんでした。
もしかしたら、その時の私は、何人かの人にインフルエンザを移したかもしれないと、今になって思います。
その後、2~3日で私の体調は回復したように思います。
何日くらい休んだのか記憶がありませんが、多分、一週間くらい休んだんだろうと思います。
体調が戻り、最初の登校の日、母が付き添って登校しました。
当時は、今のように集団登校などありません。
私も、しばらくぶりの学校で、新鮮な気持ちもありましたが、しばらく休んだので、何となく不安のようなものもありました。
母と校門を入り、教室へ向かおうとしたのですが、なんとなく学校の様子が変でした。
校庭はシーンと静まり返って、人一人いません。
母も変に思ったらしく、朝礼台の前に私を待たせて、一人で職員室の方へ行きました。
しばらく待っていると、母が戻ってきて、
「今、インフルエンザが流行っていて、学校閉鎖らしい。」
と、言いました。
それで、学校には誰もいなかったようです。
当時は、各家庭に電話がない時代だったので、連絡は、近所の生徒に伝言を頼むという方法だったと思いますが、私がインフルエンザでお休みしていたので、近所の友達も私の家には寄らなかったのかもしれないと思います。
学校閉鎖になっていることを、生徒に全く連絡しないという時代だったんだなぁと思います。
娘に聞くと、今は、何かあるとすぐにメールが入ってくるそうです。
他の学年の学級閉鎖も、全部メールが入ってくると言っていました。
今では考えられないような出来事でした。
明日から学校と言っても、明日は金曜日なので、一日行っただけで、またすぐにお休みになります
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宿題も、めでたく全部終わったようです。
まめが学校がお休みのため、ツブは毎朝不機嫌だとか。
「どうして、お兄ちゃんは学校へ行かないの?」
「ボクも幼稚園へ行きたくない。」
とゴネるらしい。
ツブは、幼稚園が嫌いとか幼稚園が楽しくないというわけではなさそうですが、家にいるほうが良いらしい。
幼稚園へ行ってしまえば、それなりに楽しく過ごしているようですが、行くまでが大変みたいです。
幼稚園でも、多少はインフルエンザはあるようですが、幼稚園の場合は、ほとんどが園全体での活動になるので、クラスだけ閉鎖しても、あまり意味はなく、あまりひどく流行するようなら、園全体が閉鎖になるんだろうということでした。
先日、浜松の小学校で学校閉鎖がありました。
原因はノロウィルスでしたが、最近では学校閉鎖は珍しいことと、テレビのワイドショーで言っていました。
そうなんだ~
それで、私が小学生の頃の頃を思い出しました。
私が小学校2~3年生の頃だったと思いますが、インフルエンザになりました。
高熱が出て、お腹が痛くなりました。
下痢が続き、とても辛かったのを思い出します。
学校を休んで、母に連れられて病院へ行きました。
当時の病院は、特に待合室などはなく、診察室の横の廊下に背もたれのない硬い木の長いすが置かれていました。
私は腹痛が続く中、その長いすに横になっていましたが、時折襲ってくる腹痛のたびにトイレに行きました。
その病院は、当時ではまだ珍しい水洗トイレでしたが、当時の水洗トイレは、流れが悪く、よく詰まったりしていました。
汚い話ですが、診察を待っている間、腹痛のため、病院のトイレに通ったもののそんな流れないトイレで、参りました。
今、思えば、B型のインフルエンザだったんだろうと思います。
今なら、インフルエンザの疑いがある患者さんは、すぐに別の待合室に隔離されますが、当時は、インフルエンザの診断でも、隔離したり、特に対処するような時代ではありませんでした。
もしかしたら、その時の私は、何人かの人にインフルエンザを移したかもしれないと、今になって思います。
その後、2~3日で私の体調は回復したように思います。
何日くらい休んだのか記憶がありませんが、多分、一週間くらい休んだんだろうと思います。
体調が戻り、最初の登校の日、母が付き添って登校しました。
当時は、今のように集団登校などありません。
私も、しばらくぶりの学校で、新鮮な気持ちもありましたが、しばらく休んだので、何となく不安のようなものもありました。
母と校門を入り、教室へ向かおうとしたのですが、なんとなく学校の様子が変でした。
校庭はシーンと静まり返って、人一人いません。
母も変に思ったらしく、朝礼台の前に私を待たせて、一人で職員室の方へ行きました。
しばらく待っていると、母が戻ってきて、
「今、インフルエンザが流行っていて、学校閉鎖らしい。」
と、言いました。
それで、学校には誰もいなかったようです。
当時は、各家庭に電話がない時代だったので、連絡は、近所の生徒に伝言を頼むという方法だったと思いますが、私がインフルエンザでお休みしていたので、近所の友達も私の家には寄らなかったのかもしれないと思います。
学校閉鎖になっていることを、生徒に全く連絡しないという時代だったんだなぁと思います。
娘に聞くと、今は、何かあるとすぐにメールが入ってくるそうです。
他の学年の学級閉鎖も、全部メールが入ってくると言っていました。
今では考えられないような出来事でした。