【紙幣(肖像)の威厳】について
~戦後使用された紙幣の肖像と、使用年
(百円札)
聖徳太子 1946年 1956年
板垣退助 1953年 1974年
(五百円札)
岩倉具視 1951年 1971年
岩倉具視 1969年 1994年
(千円札)
日本武尊 1945年 1946年
聖徳太子 1950年 1965年
伊藤博文 1963年 1986年
夏目漱石▼ 1984年 2007年
野口英世 2004年 現行
(五千円札)
聖徳太子 1957年 1986年
新渡戸稲造▼ 1984年 2007年
樋口一葉 2004年 現行
(一万円札)
聖徳太子 1958年 1986年
福沢諭吉▼ 1984年 2007年
福沢諭吉 2004年 現行
>>>戦後の紙幣(日本銀行券)の肖像画の一覧と、使用開始
と停止の年度の一覧です。
全てが大きく変わったのは・・・1984年。
それまでの・・日本建国や政治に大きく関わった【聖徳太子】
、【伊藤博文】、【岩倉具視などの】人物から、
いわゆる“文化人”に大きく変わりました。
変更前の・・【聖徳太子】や【伊藤博文】は、ロングセラー。
戦後の荒廃の時期を抜け、
世界的にも国内的に日本が大きく成長した・・高度成長期
に使用された高額紙幣に使用された肖像人物。
幼少~青年期にこの時期を過ごした我々にとって、
最も馴染みの深い人、“お札”といえば、未だにこの方々の
イメージが強いものです。
(【青いお札】のイメージ、岩倉具視の500円札も懐かしい)
・・・夏目漱石や樋口一葉、(新渡戸稲造は、政治家として
の側面や、武士道などの著作から・・まあ、いいとして)
野口英世に尊敬すべき偉人として、特に異論があるわけでは
ありませんが・・・
何か・・【威厳】が無さすぎる。
私の幼少期には・・板垣退助、
『100円札』がお年玉であり、100円にさえ、“威厳”が
ありました。もちろん、伊藤博文、聖徳太子といえば・・
もう、大金。
お金というものの“価値”を・・(もちろん、親からも)この
お札から教えられたといってもいいかも知れません。
ところが・・現在は・・子どもでさえ、福沢諭吉を軽く何枚も財布
に入れている時代。(例えばお菓子の値段はそれほど変わっていない
はずなのですが)
いったい・・いつの間に、こんな時代になってしまったのでしょうね。
1984年・・・ゆとり教育の研究の始まった年。
お札の威厳(肖像)と結びつけるのは考えすぎでしょうが・・・
教育も、紙幣肖像も・・・“威厳”というものを今一度
見直してみては、如何でしょうか?
レキの雑記 ~紙幣(肖像)と威厳、そしてゆとり教育?
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(百円札)
聖徳太子 1946年 1956年
板垣退助 1953年 1974年
(五百円札)
岩倉具視 1951年 1971年
岩倉具視 1969年 1994年
(千円札)
日本武尊 1945年 1946年
聖徳太子 1950年 1965年
伊藤博文 1963年 1986年
夏目漱石▼ 1984年 2007年
野口英世 2004年 現行
(五千円札)
聖徳太子 1957年 1986年
新渡戸稲造▼ 1984年 2007年
樋口一葉 2004年 現行
(一万円札)
聖徳太子 1958年 1986年
福沢諭吉▼ 1984年 2007年
福沢諭吉 2004年 現行
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全てが大きく変わったのは・・・1984年。
それまでの・・日本建国や政治に大きく関わった【聖徳太子】
、【伊藤博文】、【岩倉具視などの】人物から、
いわゆる“文化人”に大きく変わりました。
変更前の・・【聖徳太子】や【伊藤博文】は、ロングセラー。
戦後の荒廃の時期を抜け、
世界的にも国内的に日本が大きく成長した・・高度成長期
に使用された高額紙幣に使用された肖像人物。
幼少~青年期にこの時期を過ごした我々にとって、
最も馴染みの深い人、“お札”といえば、未だにこの方々の
イメージが強いものです。
(【青いお札】のイメージ、岩倉具視の500円札も懐かしい)
・・・夏目漱石や樋口一葉、(新渡戸稲造は、政治家として
の側面や、武士道などの著作から・・まあ、いいとして)
野口英世に尊敬すべき偉人として、特に異論があるわけでは
ありませんが・・・
何か・・【威厳】が無さすぎる。
私の幼少期には・・板垣退助、
『100円札』がお年玉であり、100円にさえ、“威厳”が
ありました。もちろん、伊藤博文、聖徳太子といえば・・
もう、大金。
お金というものの“価値”を・・(もちろん、親からも)この
お札から教えられたといってもいいかも知れません。
ところが・・現在は・・子どもでさえ、福沢諭吉を軽く何枚も財布
に入れている時代。(例えばお菓子の値段はそれほど変わっていない
はずなのですが)
いったい・・いつの間に、こんな時代になってしまったのでしょうね。
1984年・・・ゆとり教育の研究の始まった年。
お札の威厳(肖像)と結びつけるのは考えすぎでしょうが・・・
教育も、紙幣肖像も・・・“威厳”というものを今一度
見直してみては、如何でしょうか?
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さて、記事に関してですが、小生の心の中では、一万円札は、絶対、永久に、聖徳太子です!あの、憂いを帯びた、斜め角度の凛々しい御姿…あの肖像しかないのです!諭吉が偉いのも分かりますけど、太子様と比べ、何たる格落ち…当初、諭吉が採用された時、小生はかなり脱力しました。千円札の間違いじゃないの?とも思いました。今は、一万円札に、何の思い入れもありません!
小生は、今後も、聖徳太子復辟?運動を展開して参ります!