『続日本紀』に、「761(天平宝字5)年 遠江国の荒玉河(現在の天竜川)の堤が約900mにわたって決壊し、延べ303700人以上の人夫を徴発し、堤を修理した」と書かれています。このことから、天宝堤は、当時すでに築かれていたことが分かります。また、30万人以上の人夫はそれ自体すごい数字ですが、奈良時代の遠江地方の人口が8万人ほどと推定されることを合わせて考えると、天宝堤にかかわった人の多さに驚かされます。江戸時代に書かれた『遠江国風土記伝』に、天宝堤は二重になっており約6km続いていると記されています。
現存する天宝堤はわずか18mほどですが、浜北区の現在の天竜川の川筋から2kmほど西の国道沿いに保存されています。
現存する天宝堤はわずか18mほどですが、浜北区の現在の天竜川の川筋から2kmほど西の国道沿いに保存されています。
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