わたしたちが 中学の4年生のころは,ミッドウェイ作戦で 日本軍は 壊滅的損害を
請けた.刻一刻と日本が 敗戦濃厚となってくるとし 名古屋の航空機工場に 派遣された.
来る日も来る日も 突貫作業に 追われていた.
ここの工場には 鹿児島の 一中,二中 川内中学,京都府立三中,長野殻は女学生
も着ていた,現在の東京理科大の前身東京物理学校からも 動員されてきていたな
ときが時だけに 食糧難の時代である.空腹を見たいために 深夜におかゆが一杯
ずつ支給された.それを目的に深夜作業も厭わず 引き受けたものだ.
「兄ちゃん いまから おじやを食べに行かないか」中学一年生ぐらいのチビから声を
かけられた. ここでは海軍 秘密飛行機を製作していたので 絶えず海軍の衛兵が
巡視している.」「おい 大丈夫かよ.」 「大丈夫 大丈夫 ついていらっしゃい」
見上げた度胸である. 草むらの中を匍匐前進して 公上の敷地の中を出た.
『兄ちゃんここは俺しか 知らないところだから 一人でいっちゃだめだよ」
『ああ解った」どちらが年上か解らない.ませた子であった.
朝 起きてみると 空から いろんなものが 降ってくる.空を覆っている
其の夜 大阪大空襲が会ったらしい.そろそろ名古屋もあやふくなって来た.
相次ぐ敗戦に 将校が足りなくなったらしい. 補充のためにとくべつ幹部候補生
という制度が生まれた.一年で任官できるということだが どうせ消耗品だから
一定の試験に合格したらいいわけだ. わたしはこれを志願した.
すで゛に兄二人を国にささげている. 両親が悲しむだろうなあと派思ったが
その時代が そのような選択を 迫っていた.迷いはなかった.
青春という言葉を知ったのは 命ながら得て復員し 初めてフランス映画
ビビアンリーの映画を見てからだ.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます