がんばれ 日本のチベット人。日本人は 口を開けば中国のチベット政策を非難罵倒するが、程度の違いはあれ
この都市化政策の中では 日本の僻地に対する 取り扱いは 中国の チベットと比較はできないものの 根本では
きついものもときに 見られることもある。
今頃になって アベノミクスが 立ち往生したと見るや 視点を地方に向けた。いまさら「地方創生」といったって
平均年齢 76才の300名足らずの地方はプロクラムの中には入っていないだろう。
実際のところ 地方創生といったって 人,物、金がないのだから 創生も何も会ったものではない。
戦時中のひところ それでも 僻地にかっはがあったのは 原始的な生活が 営まれていたからである。
物々交換であり、共同主義であり家つくりだって、生まれてから死ぬまで 一切が みんなの共同でなされてきた。
道路予算も、護岸工事も国などに頼らず 民でこなしてきた。
学校で できのよい子供がいると どんな貧乏人の子供でも 村が面倒見て 学費を支出した。
地方創生を可能にするのは 予算を地方に 主導権を持たせることである。
さらには 財界の身勝手に箍をはめることである。
即 『企業の東京追い出し』出る。いまどき 本社を東京に置かねばならない 何のメリットもない。
あるのは 時ブラのステータス維持のためではないのか。
一番いいのは「首都移転」だろう。東京基準の右えならえ政策である。
地方分権に希望を託したこともあった。しかし、日本ではだめですね。
だって、そうなれば地方の首長を務めるのは 政党ひも付きの 霞ヶ関出身者だからね。
いったん身についた 官僚魂は なかなか 落ちるものではない。
戦後一時 公僕という言葉があった。今では死語になっているが。警察も一次民主警察といわれた。
特に公務員の 敷居が高くなったのは 小泉、阿部内閣あたりから 私兵集団に煮て来た。
政府にはむかうものは しょっ引けというのであろうか。
今でも 時に話題になる 陸山会事件、完全な国策じけんであった。哀れをととめたのは秘書たちである。
会計理論も通用しない政治資金報告書。いみじくもお父さんが自民党の総理大臣だったから
「買収事件も」不起訴となった。笑える判決というのを垣間見るにつけ 日本は美しい国ではあるが
上等ではない 者もはびこる国である。悲劇の沖縄の人たちを思うとき 無性に腹が立ってくる。
海外の新聞の中には「 日本でもっとも勇敢な政治家といわれた 」翁長知事河川場ってほしい。
いまだに不敬罪というが存在する国でもある。わたしは入浴のたびに『防人の歌』を口にする。
天皇制に強い誇りを持っている。しかし、それは神格化された天皇制ではない。
政治家が災害地を訪問するのは選挙目的も多い。穂以下の訪問には まことに頭が下がる。
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