多事多難・悲嬉交々・そして人生

2014-06-18 12:32:19 | 日記

長い 人生の間には 嫌でも いろいろなことを 経験しなければ ならない。

罪深い 人間社会で有ればあるほど そんな社会が 大好きである。わたしは

郷土の先人 西郷隆盛という人を 神より信頼していてる。現実だからだろう。

勿論西郷さんという人を 直接 お目にかかるよすがもないが 中学で柔道を

訓えてもらった 西郷先生は 西郷隆盛のお孫さんに当たる方で まさしく風貌は

こんなひとだったろうと思っている。

それは 絵で見たり 上野の西郷さん 鹿児島の西郷さんとは いささか違うようだ、

眉の太さ・大きな目玉。しかし、ふくよかな感じというより 筋肉質の方ではなかったろうかと

思う。沖永良部に流されたとき 土屋氏によって 絵かがれた 西郷さんが其の柔道の

西郷先生にそっくりなのだ。

西郷さんの人柄は坂本竜馬が言うように「小さくたたけば小さくなり、大きくたたけば

大きくなる。大ばか者か大英雄が得たいが知れない人物」

『西郷といえば敬天愛人』であろう。西郷と橋元佐内との出会いが西郷の誠実な

人柄を表している。

当時橋本は21歳西郷は32歳と聞いている。橋元は越前の人26才で安政の大獄に散る。

初めて薩摩藩邸を訪問したとき、西郷は若いものを集めて相撲をとっていた。

橋本の風体を利いた西郷は「またしておきなさい。といって相撲を続けた。

汗を拭き吹き橋本の前に出たときの西郷は胡坐書いて橋本の意見を聞いていたが

橋本の言うことを聞いているうちに、大きな体がだんだんと ちじんで来て、最後は

額から冷や汗流して 橋元に其の無礼を謝ったという

其の話しを訓えてくださった池田俊彦先生を復員後自宅にお尋ねしたとき、先生の著

「島津斉彬伝』をいただいた。

私の祖父が明治十年の役に参加し敗戦して水俣を得て郷里に帰ってきたが のちに官憲により

逮捕され仙台刑務所に収監され一年後に釈放された。

西郷の伝記や南洲遺訓を読みつつ人間の生き様をしのぶと ほんとに敬天愛人にたどり着くのである。

幾たびか 辛酸を得て 志 初めて 固し。

今日の政治と向き合いつつ西郷をしのぶ このごろで在る。

『金もいらねば、名誉も要らぬ。こんな人間でないと 国の政治を任せることは

できない。』そんな政党をだれが作ってくれないかなあ。


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