明治36年、15歳で熊本の遊郭に売られた海女の娘・青井イチを軸に、過酷な人生を送る女たちの境遇を描く。
舞台となった九州随一の遊郭「東雲楼」では、明治後期に実際に遊女たちのストライキ事件が起きているそうで、それが物語のクライマックスになっている。楼主に言い返した花魁の一言には、ぐっと痺れて目頭が熱くなったよ…。
私は、イチが島育ちの野生児みたいな状態から、遊郭でのし上がったうえにストライキを先導する役回り…なのかと思っていたらそうではなかった。いつまでも舌足らずのような島言葉が可愛らしいイチは、純朴で闊達な普通の女子だ。それだけに、時代が違えばたぶん国語の成績がよい中高生として生きた人だっただろうと、境遇の辛さや当時の格差社会がまた身に沁みた。
遊女に読み書きを教える「女紅場」でイチが詩のように書く日記は、彼女が遊郭で感じたやり場のない怒りや切なさを雄弁に語っていて胸を打たれる。
■娼妓が学校に通う意味
娼妓たちに読み書きと金勘定を教える女紅場のことは初めて知った。
お金の計算が出来ないと借金を誤魔化されて泣くことになるから、女たちは是が非でも文字と金勘定を覚えねばならない。客に来訪を請う手紙を書くための営業の一貫でもあるが、そうしたことをわざわざ教える教場があったことが驚きだった。
しかし、覚えたら覚えたで自分の稼ぎで年季のあいだに借金を払い終わるのは絶望的だとイチが知ってしまう場面は切なかった。いくら働いても親は追い借金をかぶせてくる。「娼妓に親はいりませぬ」となるのも仕方ない。
それでも、そうした知識があればこそ、廓の理不尽な待遇がわかる彼女たちがストライキを起こしたことも納得の流れだ。
■福沢諭吉の内実の姿
物語はイチの視点だけでなく、女紅場の師匠で旗本出身だが売られた過去のある鐵子さんからも描かれており、当時の世相や娼妓に関する改憲※の内容までわかって興味深い。
※明治33年、「牛馬振りほどき令」で、娼妓は本人の意志で自由廃業が認められた。(娼妓は人権を失ったもので牛馬と変わらない。牛馬に借金を返せという理屈はないので、借金の返済を求めてはいけないという内容)
特にインパクトがあったのは、福沢諭吉が女子教育の推進を説き(『新女大学』)ながらも、対象は良家の婦女のみだったと知り鐵子さんが怒るところだ。福沢諭吉は、遊女などは“淫婦”であり「人外(にんがい)」と断じて、良家の女性は内心でこれを卑しいと思っても態度に出しては品格を落とすと説いたという。これに、鐵子さんはこう憤った。
“良家の婦人はなぜ〈清く〉、遊所揚がりの女はなぜ〈濁る〉者か、なぜ婦人が〈高く〉、遊所揚がりが〈卑し〉なのか、鐵子さんは文字を追いながら〈天は人の上に人を造らず〉と言った人物の内実の姿に怖気を覚えた。” p270
私もこれはあ然としてしまった。娼妓は親の借金で売られて仕方なく身売りしているのに、それを「やりたくてやっている淫婦」とみなして蔑む者たちの差別意識たるや。しかしこうした意識は今も残り続けているだろう。
■これもシスターフッドの物語
遊女を扱った小説でありがちな色恋沙汰や嫉妬、女どうしのいじめやいがみ合いはほぼ出てこないのも新鮮だった。イチはあまり知らない相手でもすぐに「ともだち」になるし、世話になっている花魁もイチにえらい目にあった割にはその後引きずる様子もなくイチに接する。
たぶん、この話は娼妓の“労働者”としての一面を正面に据え、女たちの共闘を描いているからだろう。とことん「商品」として搾取される彼女らは、内輪もめしている場合ではないのだ。
彼女たちの今後はさらなる過酷が予見できるけれど、イチの選択は自分を取り戻すために必要な行程であり、それを言うのは野暮というもの。
読後感は爽やかで読み応えがあり良かった。これもまたシスターフッドの物語と呼べるのではないだろうか。