昨日は、『ここはとても速い川』(井戸川 射子/講談社文庫)の読書会でした。参加者は6人。
児童養護施設で暮らす小学校5年生の集(しゅう)の視点で語られる小説。同時収録は、詩人である著者の初めての小説『膨張』で、アドレスホッパー(住所を持たない人)の若い女性の視点で描かれた作品です。
以下は私含めみなさんの感想の一部で、なるほどなあ~と感心したりして覚えておきたかったところです。(人ごとに区別するため文字色を変えています)すごく長いです笑。
■きちんと言葉にできない子供時代を思い出す
最初は文体の切れ目が分かりづらくて非常に読みにくい。でも慣れてくるとだんだんわかってきて。徹底して子供の目線でただ感じたことをそのまま言葉にしているのはすごく新鮮だった。自分もかつてもやもやしたことをきちんと言葉にできない子供時代があって、そういうもどかしさに対してすごく共感した。
施設の話だが、子供にとって自分を守ってくれる絶対的な存在がないと、すごく不安定になる。読んでいてすごく辛くなった。
しかしその反面、そんなに決定的な辛さ、この子にとっての不幸のようなものは起きなかったので、そこはちょっとほっとした。ただ、多分おばあちゃんは亡くなったんじゃないかと。だからこの子は18歳まで施設で暮らして社会に出ていくのだろうけれど、ひねくれているわけじゃない素直な子なので幸せになって欲しいと思いました。
■自分が語り手に憑依するような感覚
かなり特徴的な文体だが、ものすごく読みやすかった。文体はすごく生々しいというかみずみずしいというか、自分が語り手に憑依するみたいな感覚があった。知らない風景なのに自分の記憶のように感じる。それでいて実はそんなに語り手の集君が心の中のことをわかりやすく書いてるわけでもない。彼が本当は何を考えてるかまではわからない不思議な感じもあり、でもすごく面白かった。
■実は1番ひどいことは、もう起きてしまった後かもしれない
ドラマチックな出来事や決定的に悪いことは起こらない。例えば、友達が死んでしまうとか自分の方が酷い虐待の被害に遭うなどはなかったので一瞬よかったと思ってしまう。でも、実は彼らはもうすでに絶対的な保護者というものを失っている。実は1番ひどいことは、もう起きてしまった後の話と捉えることもできる。
■筋書きや展開よりも意識されていること
実は結構四苦八苦して読んでしまった。これはおそらく文体の感覚で読ませるもので、物語はほとんど関係ない。おそらく気を抜くと取りこぼしてしまうような、その時々の感情・感覚をどうにかして取りこぼさずに表現することにチャレンジしている。それが筋書きや展開よりも意識されてるように思った。
ところどころ意識があちこちに飛ぶような書き方をしているが、読んでいくと、この子は実は児童養護施設の子供でどういう友達がいるか等がちゃんとわかる。『膨張』にしてもそうだが、アドレスホッパーという言葉の意味がわからなくても読んでいるうちにわかるように書いてある。
■大勢の中に埋没してしまうような人たちの感情・感覚に寄り添う
表題作にしても『膨張』にしても、ある意味マイナー、マイノリティー的な視点を題材にしている。けれどもことさらそれを主張したいわけでもない。それならルポなりノンフィクションなりにすればいいし、登場人物たちももう少しわかりやすい文章映えする人を選ぶのでは。
おそらくこの人は、マイノリティーの中でも特にあまり華もなく大勢の中に埋没してしまうような人たちの感情・感覚を、どうやったら文章で表現して寄り添っていけるのかを、ものすごく意識して書いた作家ではないかなと。
■生々しいものを見せられて、ストレス
登場人物と作者の距離感が独特。寄り添ってるわけでもないし、客観的に書いてるわけでもない。その辺の微妙な距離の取り方は「膨張」の方にもあるけれども、それがちょっと不思議。それと、品物や体の部位に関して非常に生々しい感覚で書かれている。妊婦の体の変化とか、子供が体を触られるという感覚の描写が生々しすぎる。
例えば女の人の腕を見て、「薄そうな皮膚に細かなしわが寄ってる」とか。今まで言葉にされることがなかったようなことを書いていて、体の印象が強く残ってしまう。
子供の目線だからっていうこともあるんでしょうけども、最終的な結論があるわけでもないし、アドレスホッパーの話も、最後まで固定しないでさらさらと流れていく。だけど、妙にいろんな生々しいものを見せられて、それが非常に私はストレスでした。私はこういう風に世界を見ない、この作者とは合わないなと思ってしまいました。
■自分が汲み取っていく作業が面白い
最初に子供がトイレで乳歯を洗ってるって異常ですよね。だけど結局、この子にとっては生まれた時や幼児期には、大切にされていた事を示していると私は感じました。いい加減に育てられてたら乳歯を保管していることなんてないと思うし。いちいち洗うという心理は理解できないけど、その描写で自分のルーツと唯一繋がってる所をすごく大事にしているんだなってことが強く伝わってきました。
児童養護施設にいるというのは最初の1ページでは分からないですよね。読んでるうちにそういう様子がだんだんわかってくる。自分が汲み取っていく作業が面白い、文章を味わうものなんだなと思って読んだので面白かった。なかなか出会える文章じゃないなと感じました。(スウ)
■話が面白ければいい小説かといえば、そうではない
読みやすいか、読みづらいかで言ったら読みにくい。あえて読みにくくしている文章。主人公の子供の主観・視点で書かれているので、考え方やものの見方は大人とは文脈がずれていたりする。それで引っかかるところが出てくる。あと実は私は関西の方言が苦手で、読みづらくて苦労しました。
ただ小説としてはすごくよくできている。野間文芸賞のあとに芥川賞をとった作品だが、これはとるなと納得できる。技術がもの凄く上手いし、小説はお話を読むというだけではない。話が面白ければいい小説かといえば、そうではない。文章を使ってどういった表現方法をしていくか。映画で言えばどういうショットの繋ぎ方をするか、カメラの距離感、焦点の合わせ方や動きの設計がある。特にこの表題作に関しては、その設計がすごく上手くいっている。
■軽んじられがちな部分をちゃんと書こうとしている
子供も大人も、全員十分なケアをしてもらえない立場の人たちが「まあしょうがないから生きている」という感じの描き方。それでもなんとかやっていくしかないというスタンス。そこがなかなか辛いところ。
同時収録の『膨張』も似た感じのしんどさがある。この主人公は恋人から暴力を振るわれていて、同意しているとはいえ、ないがしろにされている。その理由が『ここはとても速い川』の子供たちとちょっと共通しているところで。軽んじられがちな部分をちゃんと書こうとしている。ものすごい解析度が上がってしまうので読みづらくはなるが、そこまでやるという意欲、それをちゃんと最初から最後まで貫いているところはすごいと思いました。
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文章が読みづらい所が多かったという声が目立つ中、すごく読みやすく入り込み過ぎたという方もいて人の感性はそれぞれねえと思いました。逆に生々しすぎてストレスだったという感想もあり、興味深かったです。子供の視点であえてゆらぎを激しくさせながら、時折はっとさせられる言葉がでてくる稀有な作家という印象が残りました。