花日和 Hana-biyori

戦争は女の顔をしていない

『戦争は女の顔をしていない』
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/訳:三浦みどり(岩波書店)



第二次世界大戦中、ソ連では100万人を超える女性たちが看護婦や軍医だけでなく実際に武器を持って戦う兵士として従軍した。というのを、昨年テレビで初めて知ったため読もうと思った。著者は500人以上の帰還女性たちに聞き取りを行い、女の視点で生々しい戦争の惨禍を炙り出していく。

驚くのは、多くの若い女性が自ら志願し前線に赴いていることだ。恋人や夫と共に戦いたいという理由で、子供を置いて戦地に向かう人もいた。パルチザンや地下活動家も多数。皆純真で祖国を思う気持ちが強く、すべてを犠牲にして戦い過酷さに耐えていた。

ところが、戦後は「ふしだらなことをしていたんだろう」「女のくせに武器を持って戦うなんてまともじゃない」などと白眼視される。共に戦い、戦場では優しくしてくれた男性たちからも疎外され、苦しみを語るどころか戦争に行ったことも隠して生きねばならなかったという。心身ともにボロボロのままで。

戦争では男性と同等か、それ以上に優秀な働きをしたのに、戦後はまったく必要とされず報われない。それどころか迫害の理由になってしまい、理不尽の極みで腹立たしさが募る。

しかしこれは、程度の差はあれ男社会で女性が置かれる歪みや抑圧そのものでもある。日本でも時代に関わらず存在する、そのことに思い至ってしまうのが悲しかった。


「お下げ髪を切って泣きました」「包帯で花嫁衣装を作ったわ」「野の花をライフルに指していたら叱られました」
「(少し帰宅を許された戦友の)お家の匂いがするといって匂いをくんくん嗅がせてもらった」「戦場でハイヒールを履いたの」
「赤ん坊が泣き出すのを恐れた視線を感じた母親は、湖に我が子を沈めました」

女性の言葉で語られた戦争は、戦勝国としての記録や英雄譚ではなく、極めて個人的な細部の振り返り、気持ちの吐露だ。それらが時系列や娘、姉妹、母親、役職などの立場から巧みに構成され、戦争全体の様子を立体的に浮かび上がらせていた。



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