【筆者注:2024年1月】
本稿投稿後、多くの介護保険利用者にとっての自己負担割合「1割」は、2024年度以降も据え置かれることとなり、2割に倍増する案は見送られました。しかし介護保険制度の維持に必要な財源がひっ迫していることに変わりはありません。
介護職員の賃金は全産業平均よりも6万8千円も低いままです(月平均)。いっぽうで今後も介護が必要な高齢者の絶対数は増え続けます。介護保険制度というシステムが維持できなければ、各家庭内での悲しい物語の再来になりかねません。若者世代も含め、私たちは今後もこの問題を注視しておかなければならないと思います。
【筆者注:終わり】
日本には、40歳になったら毎月5千円を死ぬまで払い続けなければならない制度がある(正確な金額は個別の条件によりやや異なる。以下同じ)。年間6万円の計算となるが、そのかわりイザという時には助けてもらえる。そのイザという時に発生する費用はもちろん大きな金額だが、多くの人にとってはその1割だけを負担すればOKということになっている。
ところが来春(2024年春)から2割負担、つまり一気に倍増しそうなのだ。イザという時に使えない仕組みのために、我々は今後も金を払い続けることになるのだろうか。
INDEX
- 若者や現役世代が気付かないうちに
- ホントは安心なしくみ
- しくみを決める人々
- まとめ
若者や現役世代が気付かないうちに
「なんだよその話?」と気づいていただくために、あえて冒頭の書き出しは、お金に焦点を当てて書いてみた。そんなことが実際にあるのかといえば、あるのだ。そしてこの話はすでに(ある意味ひそかに)スタートしている。
介護保険のルール変更、すなわち介護保険制度改正である。
そもそも保険というものは、起きてほしくないことに出くわしたときに、大きな(時に巨額の)金銭的負担を軽減するためのしくみである(健康保険、生命保険、自動車保険など)。
だから、起きてほしくないことが起きなかった場合は、長年支払ってきた保険料がムダになるような気もする。しかし保険は貯金とは根本的に違う。
保険は起こるか起こらないかわからないことのために、みんなで少しずつ、あらかじめお金を出しておくものだ。何事も起きなければラッキーだった、と考えるべき性格のものである。
ところが、起きてほしくないことが起きてしまっても、保険が利用できなくなるかもしれない。これが本稿のテーマであり、いま日本で進められている制度改正なのである。
起きてほしくないこと、それは自分や家族が要介護状態になることであり、自己負担額の倍増によって保険制度が利用できないようになれば、自宅で面倒を見るしかなくなるということでもある。長年にわたって支払ってきた(強制徴収されてきた)保険料は、まさに「ムダだった」ということになる。
ホントは安心なしくみ
「介護保険て、つまり歳(とし)食ったら考えることだろ?」などと思っていたら、悲しき愚か者である。
日本では40歳になると、毎月5千円を、死ぬまで払い続けることになっている。「死ぬまで」つまり、介護保険のサービスを受けるような状態になったとしても、保険料は払い続けなければならない。一般的には高齢期に受け取る年金から天引きされる。これが介護保険制度である。
日本の介護保険には「要介護度」というランク付けがある。介護保険サービスが不要な状態を「自立」と呼ぶが、軽い方から重い方へ、要支援1、要支援2、要介護1、要介護2…要介護5という7段階となっており、このランク付けによって利用できるサービスが決められる。
たとえばもっとも重度な要介護5となった場合、月額36万円のサービスが受けられるが、このサービスを受けるにあたっては1割を利用者が負担することになっているので、約3万6千円を介護サービス事業者から毎月請求されることになる。
一般的な世帯であれば、まぁどうにかこうにか支払っていける金額かもしれない。
しかしこれが2割負担となると、7万円を超えてしまう。
変な言い方になるが、いつ終わるとも知れない介護生活で、毎月7万円を支払い続けることになるのである。
すると当然ながら、介護保険を利用せず家族で何とか面倒を見ようという傾向にならざるを得ない。この場合、何がどうなるのかは個々の世帯・家族の事情によって異なるけれども、おそらくパートやアルバイトに出ていた家族がそれをやめざるを得なくなったり、子どもが塾などをやめることになったりするなど、家族の生活がガラリと変わってしまうことは容易に想像できる。
介護保険利用者の9割は、自己負担率が1割の人たちだ。すなわち2割負担へ倍増すると、この制度を利用する9割の人が影響を受けることになる。
これでは介護保険は「制度はあれど使えない」ものとなり、これに対して生涯にわたって保険料だけは払い続ける(強制徴収される)ということになりかねない。
悲しい話だが、2000年4月の介護保険制度発足前に、日本のあちこちで起きていた悲しい事件のようなことが、ふたたび頻発してくるような事態にすら、つながりかねない。
それまで日本社会に存在しなかった介護保険の創設は、「介護の専門職の方に正当な対価を支払えば介護サービスを受けられる」という権利を、我々が獲得したということである。
しかし、既述のように「使えない保険」になってしまうのだとすれば、介護が必要な人とその家族にとっては、暗黒社会の到来になってしまう。介護保険創設前の日本社会を、あるいは家庭を想像してみてほしい。いったい誰が、どのような犠牲を強いられていたであろうか。
しくみを決める人々
それではなぜ、こんな話が持ち上がってきたのか。もちろん「今後のカネが心配」ということだ。
介護保険制度は創設以来、黒字を続けているという。しかし赤字になってしまったら国庫から補填する(公費負担の追加)ことになるだろうから、その前に手を打っておこうということなのだろう。自己負担が2割になれば、当然ながら保険制度側の負担を8割に抑えることが出来る。
そもそも同世代人口のボリュームが大きい「団塊の世代」と呼ばれる人々は、いま雪崩を打つようにして「後期高齢者」、すなわち75歳以上のゾーンへと入っている(2024年には団塊世代のすべてが75歳以上になるという表現も)。
そしてこの「後期高齢者ゾーン」は、要介護認定率も認知症発症率も一段と上昇する。
国のお金の管理をしている役所は財務省である。いっぽう福祉制度の担当は厚生労働省である。ただこういった役所は、「何もかにも」をイチから検討しているのではない。前もって考えてくれる集団がある。
それは「有識者」だとか「専門家」などと呼ばれる人たちの集団、すなわち「審議会(あるいは専門家委員会)」である。
じつは日本社会の制度や仕組みは、実際のところこの審議会メンバーが決めているといっても過言ではない。「shingikai」は日本に特有の政治制度だと指摘する人もいる。
ならばこの審議会こそもっと注目されるべきだし、そのメンバーや検討過程は明らかにされるのが民主主義の形というものであろう。しかしどうもこのあたりがボンヤリしているのが日本社会の特徴でもある。
さて、介護保険制度改革の審議会メンバーには「定年」があるという。70歳なのだそうだ。そして要介護認定を受けている人は1人もいない。つまり当事者ではない人々が集まって、保険制度の仕組みを決めている(答申している)という景色なのである。
「えー、専門家の先生方にご検討いただきましてお答えをいただいた内容でありますので、これを粛々と進めて参りたいと考えてございます」などといった奇妙な日本語トークを時々耳にするけれど、その「お答え」が「答申(とうしん)」である。平たく言うなら、
「だって、エライ先生たちが話し合って決めたアイディアなんだから、これでいいじゃん」
という話である。
今回の改正に関する審議会はすでにこの秋に行われており、2023年12月までにはその答申が出される。これを踏まえて役所が(ある意味儀式的な)決定をすれば、介護保険を利用する人の家族は、来年4月から倍額の支払を強いられる。
まとめ
入居一時金が数千万円、毎月の支払が数十万円するような、介護サービスも充実した高齢者むけ住宅へ入れる高齢者なら、こんな話に付き合う必要もない。そもそも保険制度すら不要だろう。
しかし、そこまでの資産がない多くの人は、いまひそかに進行しているこの問題にまず気付かなければならない。そして考え、明確な意思表示をしなければならない。
今回の介護保険制度改革(案)では、これまで述べてきた自己負担割合の増加だけでなく、比較的軽度の要介護1と要介護2(要支援ではない)を保険制度から外したうえで、国ではなく市区町村に面倒をみさせよう(専門資格のないボランティアも担い手になる)という話や、ケアプランの作成の有料化、レンタルできる福祉用具の一部を買取りにする話なども盛り込まれている。
介護保険制度は2000年4月に発足して23年目を迎えている現在だが、これまでずっと黒字を続けてきていることには光明を見るような気持になる。
しかしいっぽうで、防衛費が43兆円という話を想起すると、違和感というより強い疑問を抱かざるを得ない。
※ 「43兆円」は、2023年度から5年間の防衛費の総額。