ハナウマ・ブログ

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虎に翼、人魚に両脚

2024年04月08日 | 沈思黙考

【注】本稿には一部、TVドラマの「スジバレ」が含まれます。

NHKの連続テレビ小説「虎に翼」の第1週が終わった。とりあえず第1週を録画しておき、それを見てから今後も見ていくかどうかを判断しようとしていた筆者だが、第2週が始まった本稿執筆時点では、期待をもって見ている。そもそもこの「朝ドラ」は1961年(昭和36年)から、基本的に女性の自立、自己実現を描いてきた。放送開始から60年以上が経過したいま、日本女性の立場や地位はどこまで進化しているだろうか。

INDEX

  • ベストカット、ベストシーン
  • 昭和という時代
  • 人魚に脚は生えたのか
  • 関連リンク

ベストカット、ベストシーン

NHKの朝ドラ(正しくは「連続テレビ小説」)は、強く生き抜く女性のドラマが基本路線だけれど、今回は特に、主人公である猪爪寅(とも)子を演じる女優・伊藤沙莉(いとう・さいり)が光っている。
小柄な体に好奇心とチャレンジ精神がいっぱい詰まったそのキャラクターは、同じNHKのドラマ「これは経費で落ちません!」をはじめ、脇役でも存分に輝いている。
そういった彼女の演技の源には、幼いころに体験した並々ならぬ苦労があるだろうことは想像に難くない。

第1週では、当然ながら主人公の生い立ちやその環境、これからの未来を期待させる内容となっている。
ここが説明的になってしまうのは順序として当然なのだが、見る側からすれば、「前評判とくらべて、今後も見続けていく価値のあるものかどうか」を判定する期間にもなる。

もちろん人によっては、朝の時計代わりにTVをつけていたりして、その生活パターンから自然と物語に引き込まれていったり、初めは違和感を覚えていたテーマ曲にも馴染んでいったりするのだが、録画をして落ち着いて味わおうとすると、やはり「なんだかんだ」と感想が出てきてしまうものだ。すなわち、「つかみ」とか「くいつき」の部分である。
申し訳ないが、令和6年の大河ドラマに関しては、筆者は早々に見続けることを「捨てて」しまった。しかし今春からの朝ドラは期待が持てそうである。

そんな第1週の中で際立ったカットやシーンがある。
筆者にとってのベストカットは、なんといっても寅子が友人の披露宴会場で、法学博士の穂高(演:小林薫)と鉢合わせし、法律を学ぶ大学に進もうとして動き出していることが母親(演:石田ゆり子)にバレてしまい、ニラまれた時の表情だ。愛想笑いが緊張でひきつったような、何とも言えない寅子の表情がとてもいい。

いっぽうベストシーンは、寅子の進学の考えを知った母親が、必死に寅子を説得する「お勝手(台所)」のシーンだ。
娘の幸せを思う母親は、いわば安全な道を歩ませようとする。それこそが賢く生きる女の道なのだと必死に説く。

「頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかないの」という母の言葉は、おそらくこのドラマの中心を貫くものだろう(作:吉田恵里香)。
昭和6年の日本社会で一般的であったろうこのような価値観は、良い悪いはさておいて、令和のいまも(女性の中にさえ)形を変えて残っているような気がするのは、筆者だけだろうか。

昭和という時代

昭和という時代は決して短くはなかったし、しかも国をひっくり返すほどの革命的な出来事がいくつも起きた期間だ。したがってこの期間は、人によっていろいろに区分して考えられている。けれど、なんといっても昭和20年を境に、戦前と戦後を分けて考えるのは基本中の基本だろう。
そこで忘れてならないことのひとつに、戦後の約7年間、独立国としての日本はこの地球上に存在していなかったということが挙げられる。

この、連合軍(事実上はアメリカ)による日本占領期間を含めて、ドラマ「虎に翼」は日本初の女性弁護士となる三淵嘉子の人生を描いてゆく。
1952年(昭和27年)に初の女性判事となり、1972年(昭和47年)に女性初の家庭裁判所長になったこの女性は、1984年(昭和59年)に69歳でこの世を去っている。

まさにその1984年、ある女性アイドル歌手の曲がシングルレコードとして発売されている。そしてその歌詞には、
「女の子って すこしダメな方がいいの」
という部分がある。

これはもちろん、恋に揺れる若い女性の気持ちを爽やかに表現したものの一部分であり、作品自体をとやかく言う気はまったくない。
しかし、この歌詞を令和のいま味わうとすれば、様々な感情も沸き起こってくるのではないだろうか。
いやそれ以前に、三淵嘉子が亡くなった昭和59年の段階でも、アイドル歌手の歌詞として、特に違和感を指摘されることもなく受け入れられ、33万枚以上のヒットになっていたということが、日本における女性の存在や意識が、さほど進化・変化してきてはいなかった、といえるような気がする。

ただし、気をつけておかねばならないことがある。
昭和59年と言えば当然ながらSNSはもちろん、インターネットは世の中に登場していない。インターネットの原型である米軍のネットワークARPANET(アーパネット)が、ようやくその原理をIP通信に切り替えたころだ。
だから一般市民が、「与えられたアイドル歌謡」、さらに言えば「恋愛観」に対して、現在のようなかたちで意見を述べることは不可能な時代でもあった。

人魚に脚は生えたのか

インターネット、とくにSNSが普及するまでは、音楽だけでなくあらゆる情報、価値観の発信は、特定範囲の者たちだけが握っていた。
その代表はマスメディアであり、ほかに例えば、すでに製造の段取りが決められている洋服のデザインを、「大予想!今年はこれが流行る」などと雑誌に記事を組ませるような、業界のコントロール力であった。さらにそこには当然、権力にまとわりつく者たちの存在もあった。

平成の終わりごろになって、ようやくSNSが一般レベルにまで普及し、いろんな人たちが声を上げるようになってきた。しかしそれは同時に、(多分に情緒的で脊椎反射的な)誹謗中傷といった問題や、あるいはフェイク情報といった負の面もセットになって我々の前に迫ってきている。
そんな時代の中で、日本社会を生きる女性たちは、進化のスピードを上げられているだろうか。

断っておくが、女性はこうあるべきとか、男性はこうあるべきとか、なにか固定化したモデルへ直線的に近づいていこうと言っているのではない。
あくまでも一人ひとりがその人らしく活躍できる社会をイメージしている。しかしそのためには、人々が「相互に違いを受け入れる」ことができなければならない。

よその人や顧客からの電話に、突然ハイトーンの幼い声にチェンジする女性がいたっていい。夫の経済力に寄りかかりつつ、夫のために自分(の表面を)をひたすら磨く生き方もあっていい。他人に迷惑が及ばない限り、他人がとやかく言うことではない。
暴力はだめだけれど、家父長的な家庭がそれはそれでまとまっていて、社会と良好な関係にあるのなら、どこかの同盟国のように「おまえ、正義とはこういうことだぞ!」と踏み込んでいって強要することもない。

必要なことは、「なるべく多くの人が参加して、継続的に議論すること」ではないだろうか。そのためにインターネット、そしてSNSは強力な道具となる。と同時に、今後を生きる我々は、そういった議論に参加できる力を磨いていく必要がある。
それは情報を見極める力であり、程度の低いつまらない誹謗中傷を受け流す力であり、そして正しい言葉と表現で発信していく力である。

かわいい人魚のままでいたい女性がいても、それが他者や社会からの強要でなく、その人らしさであれば何の問題もない。
しかし不本意ながら「女性らしさ」を生きようとしているのであれば、人魚はそのサービス用コスチュームを脱ぎ捨てて、しっかりと自分の両脚で歩いていかなければならない。

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