何らかの社会的問題を論ずる場合、いったい誰の負担や犠牲によって、多くの人々が利便性や幸福を実現できているのかを視界に入れておかねばならない。
現在、ただでさえ捉(つか)まえにくいタクシーは、令和5年10月20日(金)、東京をはじめとする全国の都市部で、一段と捉まえにくくなるかもしれない。なぜなら、タクシー乗務員たちが出勤を控えようとするかもしれないからである。
これまで一度も自家用車を持ったことがなく、「タクシー&レンタカー人生」を生きてきた58歳の筆者が、長年にわたって多くのタクシー乗務員から聞き取ってきた話をもとに考えてみる。なお本稿でも東京地区のタクシー業界を基本に記述している。
INDEX
- UDタクシーとは何か
- UDタクシーの問題点
- タクシー乗務員の手取り収入
- 物理的バリアを超えていくもの
UDタクシーとは何か
UDタクシーとは「車いすに乗ったまま乗車することが出来るタクシー」と理解してほぼ間違いない(Universal Design Taxi)。
令和の東京オリンピック前から、東京をはじめとした都市部では、このUDタクシーが普及し始めた。その主流はトヨタ製の「ジャパンタクシー」である。
同社の一般向け乗用車「シエンタ」をベースに、タクシー用として開発された車種なのだそうだが、当初設計時の「ガソリン+バッテリー」ではなく、「LPガス+バッテリー」という構成のハイブリッド車に変更されたため、広かった荷室スペースの一部をガスタンクが占めてしまうこととなった車種でもある。
とはいえこの画期的な車種は、車いすユーザーではない一般の人々にもおおむね好評である。これまでのセダンタイプ(クラウンやセドリックなど)の車種とちがい、乗り込むときの開口部が広く乗り降りがしやすいし、天井も高く空間的なゆとりが感じられる。
またタクシー乗務員にもおおむね好評のようである。タクシー専用に設計されたいろいろな車内設備やデザインが、より仕事をしやすいようになっているのだそうだ。
UDタクシーの問題点
ジャパンタクシーをはじめとするUDタクシーは、「車いすに乗ったまま乗車できる」というのが宣伝文句のひとつである。外出することに関してバリアがある車いすユーザーにとって、そのバリアの一部が緩和されるはずだ、という思想が根底にある。
確かにハードウェア的な面でいえば、様々な工夫が凝らされた自動車であることはハッキリしている。しかし実際のところUDタクシー(の車いすユーザーに対するサポート)は、タクシー乗務員の自己犠牲的ボランティア精神に大きく依存しているのだ。
このことは、タクシー乗務員という仕事がどういったものなのかを知らない限り理解することは難しい。そのため制度設計をする「室内勤務者」にも、社会一般にもなかなか理解されにくい。
そして結局のところ、UDタクシーというハードウェアが普及しても、車いすユーザーはそれほど幸せにはなっていない、という現在の状況を招いている。
タクシー乗務員の手取り収入
タクシー乗務員は大きく、法人タクシー(タクシー会社)の乗務員と、個人タクシーの乗務員に分けられる。法人タクシーの乗務員は給与所得者であり、個人タクシーの場合は個人事業主である。
法人タクシーの場合、乗務員は会社のクルマを借りて仕事をしているわけで、客が支払ったメーター金額の一定割合(歩率:ぶりつ)をもとに給料が決まる。この歩率は会社ごとに異なるが、高ければいいという単純なものでもない。
たとえ歩率が高くとも、キャッシュレス決済の手数料や、障がい者割引、有料道路通行料、燃料代などを乗務員に負担させたりする会社もあるという(ほかにもクルマが旧型など)。
ここでキャッシュレス決済の仕組みをご存じない方のために、あえて解説しておくとすれば、キャッシュレス決済を利用した場合、ほぼ必ず決済手数料(およびその他手数料)が発生する。
つまりクレジットカードや交通系電子マネー(Suica等)、QRコード決済などの場合、客が支払った金額を事業者側(お店側)がまるまる受け取っているわけではないのだ。事業者はカード会社などに対して手数料を支払っているのである。
しかも実際の入金は、翌月や翌々月にまでずれ込む。つまり一定規模以上の商売をしている事業者でなければ、各種キャッシュレス決済の導入は困難という事情が基本にある。
ちなみにこの手数料を、販売価格に上乗せして客に請求する方法は規則違反である。たとえば個人商店でクレジットカード払いにする際「別に、手数料がかかりますぅ~」という店は、厳密には加盟店規約違反なのであり、カード会社に通報すればその店は加盟店契約を取り消される可能性がある。
とはいえ規模の小さな個人のお店でカード決済を希望する方が「世間知らず」という面もあるのではないか、と筆者は考えている。
同様に個人タクシーの場合は個人商店と同じことであって、キャッシュレス決済はあまり「いい顔」をされない。メーター料金しか受け取れない以上、手数料は乗務員個人の負担となる。ましてや短距離でキャッシュレスだと、「なんだこの客(怒)」ということになりがちなのである。
まぁそんな事情もあって、他社より安い運賃をウリにしているタクシー会社では、キャッシュレス決済の種類が限定的だったり、キャッシュレス決済そのものが不可能だったりする(タクシー会社として割に合わないキャッシュレスに消極的)。
あるいはキャッシュレスの取り扱いは可能であっても、乗務員が手数料を負担することになっている会社の場合、「カードだと困っちゃうなァ、お客さん現金ないの?」ということになりがちなのである。
ちょっと横道にそれてしまったが、既述のようにタクシー乗務員というのは、1回1回の送迎で受け取るメーター運賃(のおおむね半分程度)だけが収入の源なのであって、ここが固定給制のサラリーマンとは決定的に違う部分である。もちろん賞与などない(ちなみに「賞与」という名目で、毎月天引きしてきたプール金を渡す会社もある。しかし理由をつけてその金額を削ったり、プールしている金を運用したりと、会社側が恣意的に操作している可能性は考えられる)。
タクシー乗務員という仕事は、つまり、法的に制限されている乗務時間内で、いかに効率よく営収(営業収入=運賃収入)を積み上げていけるかが死活問題となる。
ありていに言えば「時間ばかりかかってメーターが出ない客など相手にしていられない」という考え方にならざるをえないのだ。
つまりここである。
車いすユーザーは、乗務員の本音から言えば「時間ばかりかかってメーターが出ない客」の典型例なのである。
それでも使命感の高い乗務員や、比較的研修や教育が厳しい大手タクシー会社の乗務員は、積極的に車いすユーザーの接遇に努める傾向にはあるようだ。
しかしこういった乗務員たちも、やがて「下手に人情味を発揮しても割に合わない」と悟ることになる。
物理的バリアを超えていくもの
令和5年10月20日、認定NPO法人のDPI日本会議(政治団体の日本会議との関係は不明)は、全国一斉にUDタクシーの乗車運動、いわばUDタクシーチェックを実施する。車いすユーザーに積極的にUDタクシーを利用してもらい、その実態を報告させようという活動である。
もちろん、この活動自体は有意義なものだし、「ドライバーや事業者を批判することが目的ではありません。」とも明言している。
しかし実際は、「これは乗車拒否に該当するのではないか」と指摘された場合、そのタクシー会社には監査が入るのだという。
この場合、タクシー会社としては「優良」マークの取り消し(優良タクシー乗り場に入構できない)、保有車両の減車処分など、法人としてのペナルティに繋がる。また乗務員個人も、乗務停止によって手取り収入が低下したり、会社からの評価が低下したりすることになる。
つまり「自分にとっても会社にとっても厄介なことになるのであれば、10月20日は有給休暇を申請するか、場合によっては欠勤してでも出庫しない」という選択を考えるのは、自然な流れなのである。
実際、10月20日の出勤者数を懸念しているタクシー営業所も少なくないようだし、あえて出勤を促さないということも考えられる。
仮にこういった事になるとすれば、アオリを食らうのは大多数の一般利用者である。
東京駅のタクシー乗り場でさえタクシーが1台も無いことが、そうめずらしくない現在、10月20日はどういうことになるのか気になってしまう。
「ったく、そもそも運転手なんてヤツらは、ロクでもない人間たちだ」などと腹の底で思っている人が多いうちは、こういった問題が改善や解決へ向かうことはないだろう。
問題は、UDタクシーでバリアフリーを実現しようとする仕組みの欠陥である。
冒頭でも述べた通り、現状では現場乗務員の自己犠牲的ボランティア精神に依存しているだけでなく、トラブルの責任まで乗務員に押し付けられる状態となっている。
さらに一部では、車いすユーザー自身(や介助者)が満足できないと感じた場合、必要以上に激しく乗務員やタクシー会社を非難するといった、言わば「ひねくれてしまった弱者」も散見されるという。
車いすユーザーなどハンディのある人や社会的弱者のケアを本気で考えるのであれば、ケアする立場の人間に対する、社会的な眼差し(まなざし)が絶対に欠かせない。これは医療・介護・福祉業界などでも共通することではないだろうか。
ここを抜きにして、いくら立派なリクツをこねて仕組みを作ったところで、必ず歪(ひずみ)が出てきて破綻する。
令和5年の秋、いまだに介護関連、あるいは幼児・児童に関する悲しい事件や事故がニュースになっている。
どうも日本社会は経済格差だけでなく、これにくわえて「オモテとウラの差」も激しくなってきているような気がする。
うまくいっていそうな家庭、うまくいっていそうな社会的しくみ、そういったものが実は、ある種の社会的演技として行われているだけであって、その裏ではとても人には言えない、言いたくない事情が渦巻いている、そうして皆そのことを表にできないまま、「オモテの演技」を強いられている。
それが現代日本社会であるような気がしてくる。
昭和の後半から平成にかけて、「プライバシー」や「個人主義」、「権利」などという言葉の意味、概念、背景をよく呑み込めないままに突っ走ってきた我々日本人は、皆で一所懸命にこうした生きにくい社会を作ってきたのかもしれない。
筆者の友人に、腰を痛めて通院している男がいる。
「寒い時期のタクシーは、後席シートヒーターがついているジャパンタクシーに限るわ」
と話しているヤツだ。
筆者は彼に、遅くとも前日までにはタクシーを予約しておいた方が無難だろうと言ってある。
さて10月20日、車いすユーザーも一般利用者も、サッとタクシーに乗れるだろうか。
僕が20才台のときに、タクシー会社の面接を受けたことがあります。
週に三日で雇ってくれませんか?
と言ったとき
せめてもう少し来てもらわないと、
と言われて、
パートタイムではゆけないことを知ったです!
その際に一日200kmは流してもらわないと、!と言わせました。
つまり
ガソリンの費用が抜群に高いようになったので固定費用がタクシー会社ではウナギ登り
タクシー会社業界は経費コストが激増してむつかしい経営ではないのでしょうか?
そして、
『UDタクシー』知りませんでした。
確かに、バリアフリー化を1つの業界だけでなんとかするのは、逆にユニバーサルでは無いと思います。😅
タクシー業者が福祉に介入するのに比べ、福祉事業者が移動支援で車両を使うのはハードルが高い様で、
地域の審議会でレスポンスが無ければ出来ないのですが、ここで
地域業者の意見が反映され「商売仇」と思われれば、難しいのでは無いかと感じています。
確かに既得権は、業者にあるので然るべきとは思いますが、、🤔
タクシー業者にも運転手さんの苦労があるのですね😔