筆者の投稿も含めて「皆さん、こうしましょう。なぜなら〇〇だから」というパターンの主張が一定の理解や賛同を集めることがある。
しかし時にはトリックや誘導が仕込まれていたり、奇妙な信念に基づいて都合のいい事実だけを集め、さらに都合よく練り上げた主張だったりする場合もあるようだ。特に健康にかかわること、今なら新型コロナウイルスについての「皆さん、こうですよ」には注意しておきたい。
【注意】筆者は医療従事者等ではなく、本稿では一般に公表されている情報をもとにした個人的見解を述べています。病気の予防や治療に関してはご自身の責任において判断してください。
情報は人から人へ
善意であれ悪意であれ、情報発信は人間が行っている。したがってバイアスがまったくゼロということはほとんどない。AI技術を応用したコンピューターが「意見」を発信する場合もあるかもしれないが、それも基準やパラメーターを設定しているのは人間の意思である。そしてその情報をどのように理解し、利用するかは受け取った側の人間に依存する。
したがって、「すべての情報には善意や悪意に関係なく、何らかのバイアスがかかっている」と思っておいて間違いはない。
特に、直接知らない誰かの主張やおすすめ情報を私たちが受け入れるのは、おそらく「なぜなら○○だから」という部分で「なるほど」と納得したり、「そんな事実があったのか」と驚いたりするからだろう。
だが、漫然と情報を受け入れていては判断を誤る場合もある。それを防ぐためにはいくつかの注意すべきポイントがある。いま思いつくままザっと挙げてみる。
- 一面の真実だけで全体を決めつけていないか
- たとえウソではなくとも、巧みな誇張や形容がされていないか
- 統計マジックがないか
- 言葉の定義や話の(議論の)前提がはっきりしているか
- 対象としている物事の仕組みや構造をわかっているか
いま読んでいただいている「主張系ブログ」を読むときもそうだが、マス・メディアやSNS、広告の情報を受け止める時も、こういった視点を持つように気を付けたほうがいいのではないかと筆者は考えている。
特にインターネット上の各種メディアやツールに関しては、メディアやツールそのものが持つ高度な技術や仕組み(仕掛け)が発達していること、そしてそれによってどんな人物でも一定の発信力、確からしさを持ってしまうという特徴にも気をつけておきたい。
新型コロナウイルス関連の場合
新型コロナウイルスに関しては、ワクチンに関するデマが問題になっている。たとえば「ワクチンを接種すると不妊になる」などといった話である。
このデマが影響したのかどうかはわからないが、ワクチンを打たずに感染してしまった妊婦が「いま思うと打っておけばよかった、私はともかくお腹の子だけは...」とインタビューに涙ながらに応えるという報道を2021年8月ごろから目にするようになってきた。
また1年ほど前の話だが、筆者のところにも「〇℃以上のお湯を飲むとコロナウイルスは死ぬ。都立広尾病院の医師からの情報だ」などというメールが、決して悪人ではない元同僚から送られてきたこともある。
騙されてしまった方には申し訳ないが、今となってはお笑いである。
こういったデマが発生し、ある程度の人がこれに突き動かされてしまうのは、新型コロナの問題そのものが、ある種の余地を持っているからではないかと筆者は考えている。
文字通り人類の誰もが知らなかった「新型」ウイルスの問題は、「ほぼ100%こうである」とか、「ほぼ100%そうではない」と断言することができない話ばかりだ。そのためそこに様々な物語を想像し、創作できる余地が存在するのではないかということである。
そんな状況では無数の断片情報が乱れ飛ぶ。そこからいくつかの情報を選び出し、まとめ上げようとするのはバイアスを持ったいろんな種類の人間である。
そうしていつしか、ひとつの仮説に過ぎないものが定説のように語られ、研究室の特殊な環境下での結果が一般にも応用できるように語られ、レアケースであり因果関係すらはっきりしていないにもかかわらず、衝撃的事例であるというだけで一定の傾向があるかのように発信され、査読も済んでいない論文の速報に触れて突っ走り始める...。
たとえばマスクに関しては「マスク警察」的な人もいれば「マスクは危険」と主張する人までいる。意見を述べるのは自由だが、こういった問題を論じたり受け止めたりするのであれば、マスクのメリットとデメリットの両方について、科学的・合理的思考をもって検討すべきだろう。
そして固定的な考えに凝り固まってしまうことなく、その時々における全体観を持った状況判断能力を身に着けることこそ肝要である。
子どもとマスク
ところで子どもについては、マスクの使用に配慮・注意が必要である。
WHO、厚生労働省、あるいは日本小児科学会などは、自分でマスクを外すことが出来ない乳幼児に装着させることについて、場合によっては危険な状態に陥る可能性があることを指摘している。
そんな情報を見ているなかで目に留まったのは、子ども(小学生を念頭に置いているらしい)にマスクをさせることは、深刻な問題を引き起こすので危険であり、直ちにやめるべきだと主張する意見だ。
興味深かったのはその主張を支えるために、そこで列挙されていた理由である。
- 表情が見えず心理的な発達に影響を及ぼす
- マスクにより頭痛、集中力低下、不安などの症状が出ている
- マスクはウイルスを通過させる
- 微生物の出入りが阻害され健康な発達に必要な免疫力が育まれない
- マスクの内側は湿っていて雑菌がいっぱいである
- 低酸素や二酸化炭素貯留によって脳に悪影響を及ぼす
- 心理的なマスク依存となってマスクを外せなくなる
- 無症状の人のマスク(着用)が感染拡大を防ぐ根拠はない
そしてこれらの理由により、「(子どものマスク着用は)知能の発達に影響が出る、めまい・視力低下・集中力低下を引き起こし、情緒不安定・免疫力低下・頭痛・皮膚疾患のリスクが考えられ、ウイルス性肺炎や細菌性肺炎の温床になる」とまで主張している。
いかがだろう。「そうか、そうだよなぁ」と感じるだろうか。しかしちょっと考えてみれば不思議な点があることに気づく。
最初の「表情が見えず...」というところは、確かに教育分野の専門家も指摘していることだ。しかし、これをマスク危険論に短絡させるのはいかにも全体観を失っている。
言語を獲得していない乳幼児ではないのだから、物理的距離をとって一時的にマスクを外す、アクリル板を挟む、その空間の換気を確保するなどの総合的な視点での工夫が考えられる。
2.の、「...などの症状が出ている」が事実とすれば問題である。複数の医師による指摘、または調査・統計から「原因はマスクである」と考えられるのであれば、小児科学会などにデータを出して問題提起すべきだ。
3.は典型的な「一面の真実」というパターンである。確かにウイルスは細菌より小さく、その多くが電子顕微鏡でなければ確認できないサイズである(一部例外あり)。しかしいっぽうで感染経路とその態様を視野に入れておく必要があるのではないだろうか。すなわち、
- ウイルスは飛沫という名の「乗り物」に乗って飛んできたり、漂ってきたりする(水分蒸発後も唾液内の物質とともに粒子となって一定時間漂うと考えられている)
- ウイルスが付着しているかもしれない自分の手で、無意識のうちに鼻や口に触れてしまう
という具体的な感染のありようである。 ある量のウイルスが乗った飛沫や粒子状物質を不織布マスクによってブロックすることで、結果としてウイルス吸入のリスクを減らせることは論ずるまでもない。
理論の断片を単純に実生活にあてはめるだけでは、子どもを守れないのではないだろうか。
4.と5.はそもそも主張が矛盾しているようにも思える。雑菌と微生物の定義もはっきり説明していない。
ただ考えてみれば、無菌室レベルの管理空間で生活し続けるのでもない限り、清潔な部屋であれレストランであれ、我々はいつも各種ウイルスや細菌の中で暮らしている。食べ物にも少しくっついてくるから「健康な発達に必要な免疫力が育まれない」という心配はないだろう。
またマスクの内側が人体に影響を及ぼすまでに汚れているのだとすれば、それはマスクがどうこうではなく単に使い方の問題だ。マスクの正しい使い方(と歯みがき)を指導すればいいだろう。
6.もやはりデータが欲しいところだ。
確かに小学生と成人を比較すれば呼吸器が未完成な面もあるかもしれない。1呼吸あたり換気量が少なく、ガス交換有効面積も比較的少ないのかもしれない。だがそれゆえ呼吸数が多いのだし、体の大きさとの関係も考慮すべきではないだろうか。
だいたい血中酸素量ならパルスオキシメーターで測ればわかる。脳に影響を及ぼすほどの酸素不足が確認されるのであれば、救急車を呼ぶべきだ。マスクを励行している大多数の大人や子どもたちの脳に何らかの影響が発生しているという話もこれまで聞かない。
仮に、成長期に酸素が「比較的薄くなることが問題」と主張しているのだとすれば、海抜の高いところで生育する人ほど脳に問題を抱えていることになる。
7.はマスクの問題ではなく依存症の問題ではないだろうか。マスクを着けたり外したりするのはどんな時なのか、それはどうしてなのか、子どもたちと一緒に考えてみると「考える力」を育めるかもしれない。
8.はこの種の問題を考えるにあたって好例だ。
新型コロナウイルスについては、多くの点において何かを明白に証明するためのじゅうぶんなデータが揃っていないという現状がある。それゆえあらゆる調査結果、研究結果などを専門家が総合し分析したうえで「〇〇である可能性が高い」とか「少なくとも○○は注意が必要」というアドバイスが出てくる。
たとえ明白な証拠が存在しなくとも、多くの専門家に共通している考え方・助言を尊重することは、人類が初めて出会ったウイルスに対するまっとうな姿勢だろう。
少数の素人と異端の「専門家」が物語を紡(つむ)いでひねり出した主張とはまったく次元が異なる。
そして最後の「(マスクは)肺炎の温床になる」に至っては、強力なバイアスというよりも、もはや新手のお笑いパターンかと思えてくる。
まとめ
あらゆる情報にバイアスがかかっているとわかっていても、自分や家族の健康に関係するとなると誰でも不安になる。そして不安は冷静な判断力に影響を与える。
大人であれ子どもであれ、ふだんから不安に負けない判断力を養っておくことが大切だ。
それではどうするか。
筆者は、①インプット、②ディスカッション、③アウトプットの繰り返しであると思う。
なんだか安っぽい新書の結論のように感じるかもしれないが、要はふだんから多様な人の意見に多く触れ、自分で考え、また自分の意見を述べることだ。また考えるときは考えることだけに集中する。
あるテーマについて自分なりの意見を持っている人の話を聞き、意見を述べ合い、なぜそう思うのかを説明しあう。ただし、その時々の暇を埋めるだけのような関係の「友だち」と過ごすのは時間のムダだ(学びでなく癒しを求めるなら話は別かもしれないが)。
メディアを活用するのも有効だが、自分にとって好ましい意見ばかり集めたり「お仲間」だけで群れないように注意したい。そのためには新聞や書籍などの文字に触れる機会を増やすことがいい。
特に毎朝ムリヤリ?届く新聞は、あらゆる分野の情報がバランスよくプッシュされてくるところがいい。オンラインもあるけれど、文字を読んで自分のアタマで深く考えるためには、できれば物理的な紙面をおすすめしたい(ちなみに筆者は新聞配達はしていたが新聞屋の回し者ではない)。
人間は外から言葉を得て、言葉で考え、言葉を発して生きる動物である。ここが訓練されていないと、他の人間にまんまと釣られてしまうことになりやすい。「少し話せば、あるいは文章を書かせれば、だいたいその人物の知的レベルがわかる」と言われる所以(ゆえん)でもある。
しかし焦る必要はない。1年後、3年後の自分の成長を期待しながら「一人プロジェクト」を楽しむつもりでいいのではないかと思っている。