筆者は、一般公道を走るクルマの自動運転は、人類社会の進展という目的において、今後さらに進めていくべきだと考えている。
INDEX
- もうみんな乗っている自動運転
- タクシーの自動運転がはじまる
- 光伝送というもの
- 人、この不完全なるもの
- 関連リンク
もうみんな乗っている自動運転
本稿で言う自動運転とは、「人が乗るための乗り物を、それ自体に乗りこんで操縦する人がいない状態で、地形や構造物、そして他の交通(歩行者や自動車など)との衝突などなく、安全・迅速に目的の運転が行われること」、としたい。ほぼ同じ意味で「無人運転」、「無人自動運転」という言葉も使う。
さて、一般公道を走る自動車の話を始める前に、ちょっと「鉄道」の話をさせていただきたい。じつは、大勢の人が日常的に利用している鉄道の分野では、すでに無人自動運転を実現して半世紀になる、というと驚かれるだろうか。
「鉄道」というと2本の鉄のレールの上を走行するものだけをイメージするかもしれないが、たとえばモノレールのようなものも、広い意味での「鉄道」カテゴリに入る。山へ登ったりするときに利用する「ロープウェイ」も、じつは「鉄道」なのだ(厳密には「特殊鉄道」という)。
これらの乗り物は、あらかじめ敷設された軌道や索道を外れて自由に進むことは出来ない。
東京ならば、湾岸地区を走っている「ゆりかもめ(新橋~豊洲)」のように、コンクリート軌道を、「案内軌条」と呼ばれるレールに誘導されながら、ゴムタイヤで走っているものが良い例である。
こういったタイプの鉄道は、AGT(Automated Guideway Transit)、自動案内軌条式旅客輸送システムといい、通常は「新交通システム」と呼ばれる。
このAGTでは、乗務員はおらず中央指令室からの遠隔監視・制御で運行されている。
「ゆりかもめ」の場合、すでに1995年11月の開業から今日まで、もう30年近く、無人自動運転の交通インフラとして社会を支えてきている。
これが実現できている理由は、外界と隔絶された専用軌道を走行していること、そして駅のホームが、いわばガラス張りの室内のような閉鎖空間になっていることも大きいだろう。ホームから軌道へ転落したり、侵入したりといったことが起きない。
こういった恒久的な公共交通機関としての無人自動運転の日本初は、神戸新交通(株)が運営する「ポートライナー」のポートアイランド線である(1981年2月5日に開業。当初は添乗員が乗務)。
つまりこういった「鉄道」に限って言うならば、すでに半世紀近い運用実績がある。
さらに、期間や範囲を限定して営業運行されたAGTとしては、かつて京成電鉄が経営していた「谷津遊園」で、遊具として設置されていた周回コース(1972年春に導入、2年半で約100万人を無事故で輸送)や、沖縄国際海洋博覧会(1975年7月から約半年間)にともなって会場内に設けられた例がある。
これらを視野に入れると、「鉄道」の自動運転は半世紀を超えていることになる。
タクシーの自動運転がはじまる
さて、自動車の話に移る。
今年2025年、日本でも本格的に、タクシーの自動運転の実証実験が始まる。東京地域での話ではあるが、業界では「今年が実証実験の年、来年が(客を乗せて運賃を収受する)営業スタートの年」と位置付けているようだ。
自動運転は、特定の狭い地域やルートでは、一部で始まっている。
たとえば「交通空白地帯」と呼ばれる地域や、森林公園のような管理された施設内だ。ただ念のため、オペレーターが同乗して監視にあたり、万一の際は現場対応を行うことになっている。
東京地区におけるタクシー大手の日本交通(株)では、すでに自動運転のテストドライバーを50名ほど募集しているという。車種はフル電動SUVの「JAGUAR I-PACE(ジャガー・アイ・ペイス)」。左ハンドル車を使うのだそうだ。
ちなみにドライバー募集は、英語での指示を聴き取ることができ、かつ英語を使って状況説明ができる能力が必須要件なのだという。おそらく2種免許所持者に限るのだろうし、一般募集ではなく、英語に堪能な運転手を社内から募集するものと思われる。
自動車の無人自動運転の実験となると、つまりは各種のセンサー、通信ネットワーク、ソフトウェアのテストや調整が中心となる。工具を手に、オイルにまみれ、排気ガスを吸いながらの「昭和の現場」とは全く様相が異なる。
そこにはスーツを着た、あるいはキレイな作業服を着たソフトウェア技術者やネットワーク技術者が、現場や遠隔で立ち会うのではないか。
そしてそれらの技術者は、おそらく日本企業や日本人だけではない可能性が十分考えられる。
だからこそ、(都内の)タクシーの現場を熟知しており、かつ的確な英語コミュニケーションができるテストドライバーが必要なのだろう。
冒頭に、タクシーの自動運転が2026年には実用化する見込み、といったような記述をしたが、じつは米国カリフォルニア州(ロサンゼルスやサンフランシスコ)では、すでに無人のタクシーが一般に利用されている(すべてのタクシーではない)。
このシステムを運営しているのは、Googleなどを傘下に持つ巨大ITコングロマリット「Alphabet」の子会社、Waymoである。
こういった、すでに社会の中で機能している実例がある以上、日本でもWaymoの技術支援を仰ぐことになるのは自然な流れと言えるかもしれない。
事実、都内で実証実験を始めるのは、前出の日本交通(株)と米国Waymoの協業によるものだ。これに配車アプリのGO(株)を加えた3社による戦略的パートナーシップであると謳っている。
アメリカと日本では道路事情や社会背景が異なるものの、だからこそ「世界征服」を狙うAlphabetにとって、日本での知見の蓄積や、成功事例を世界に示すことは自然な戦略と言えるだろう。
光伝送というもの
この項はやや余談めいた話になる。
自動運転を制御するAIは、おそらくデータセンターで稼働している。だとすれば、都内各所を自由に移動するクルマとの通信が、重要なポイントのひとつになる。そして通信には「遅延」がつきものだ。
「時速60㎞で走行する車が20㎝移動するのにかかる時間は12ミリ秒であり、衝突などを避けるためには10ミリ秒以下で映像伝送からフィードバックまでを行わなければいけない」という(高井厚志著「データセンターを支える光伝送技術 ~エッジデータセンター編」より)。
高速通信というと一般には、携帯電話の「5G」だとか「Wi-Fi」という言葉が思い浮かぶかもしれない。しかし、これらはネットワークの末端部分の話でしかない。「幹線」ともいえる部分はやはり光ファイバーである。
我々は学校などで、「光の速度は1秒間に30万キロメートル」と習った。ところが光ファイバーを通る光は、様々な理由から、せいぜい20万キロメートル程度にまで落ちるという。これが通信の「遅延」に関係してくる。
ところで前出のWaymo社の拠点はアメリカ西海岸。日本から約9,000キロメートルの距離を、国際海底ケーブルで「行って来い(往復という意味)」するには100ミリ秒かかるという。これでは都内の自動運転車両は事故を起こしてしまう。つまり、AIが稼働しているデータセンターは、日本にあると推測できる。
思いつくのは千葉県印西市にあるGoogleの印西データセンターだ。
千葉県印西市と聞いても、(関係者には申し訳ないが)日本人のほとんどがピンと来ないだろう。「千葉ニュータウン」と表現した方が少しはわかりやすいだろうか。ここは「データセンター団地」ともいえるところであり、日本や世界のあらゆる業界が使用しているデータセンターが立ち並ぶ。
余談の余談になってしまうが、こういった地域は軍事的な攻撃目標になりうる。永田町や霞が関などの「事務所」を狙うより、産業から国民生活のあらゆるレベルに至るまで、一瞬にして近代的な社会機能を麻痺させることも可能、と言えるからだ。だからこそ、自然災害も視野に入れつつ、さまざまな対策が取られているに違いない(と願う)。
人、この不完全なるもの
一般公道を走る自動車は、歴史を遡れば18世紀中葉の「蒸気自動車」あたりに行きつくことになるだろうか。やがてその動力は化石燃料を爆発させるエンジンの登場によって、スピードと馬力(仕事率)が圧倒的に伸びてゆくことになる。そうして現在、自動的にブレーキが作動したりする機能を備えた自動車が、新型車では一般的といっても過言ではないほどまでに来た。とてつもない技術革新である。
しかしこの250年間、まったく変わっていない点がある。それは「人が操縦(運転)している」という点である。
自動車を運転する人にとっては懐かしい言葉かもしれないが、運転の三本柱は「認知・判断・行動(制御)」である。これらはそれぞれが関わり合って、総合的に「運転という結果」を導き出しているが、自動運転技術は、この三方面すべてにわたって人間よりもはるかに上を行く。
「オレはここ数十年、無事故無違反だぜ」などと言うレベルとは次元が違う。
たとえば「認知」で言えば、運転者(あるいはその車の位置)からは、どうやっても確認できないところに隠れている自動車などの存在を、前もって「認知」することもでき、それによって次の瞬間に起きるであろう状態・事態を、あらゆるパターンで予測することが出来る。
いったい(一般公道での)交通事故というものは、生身の人間が介在して起きている。
筆者は、交通安全だとか交通事故だとかいう事柄を考えるとき、この「生身の人間が介在している」という点が、より重く検討されるべきだと考えている。
とくに昨今は、高齢者が運転する自動車によって、未来ある子どもたちを傷つけてしまう事例がもっとも気になっている(ただし高齢ドライバーだけに原因や責任を求めてしまう発想は、社会として短慮に過ぎる)。
根本的な問題は、人間という不完全なものが「認知・判断・行動」しているということだ。
人間は残念ながら、わき見運転、ながら運転をする存在だ。あるいは視野内の一点に意識が集中してしまい、周囲の状況を認識できなくなったりもする。器官としての「目」が道路状況を見ていても、それを処理するべき「脳が見ていない」という現象は、誰でも経験があるはずだ。
人間の、自動車の制御能力に限界があることは明らかである。
さらには「気分」というものが人間にはある。
焦ることなど誰にでもあるし、競争心、虚栄心、対抗意識、損得勘定のようなものも運転に影響する。
また逆に「あおり運転」などを受けて狼狽してしまい、その結果として別の事故の加害者になってしまう事も考えられる。
運転している人間そのものが不完全であり、気分に支配される存在である以上、道路照明や標識など、路上のハードウェアにどれだけ予算をつぎ込んだとしても、事故が激減したりすることはないだろう。
確かに、自分自身の技術で自動車を運転するということは、大きな楽しみでもある。しかしそれは徐々に、限定された条件下で行われるものに近づけていくべきだろう。
現在の自動運転技術も、決して万能であるとはいえないが、しかしそれらの課題を一つひとつ乗り越えていく(乗り越えてきた)努力こそ、現代人の「生きる道」なのではないだろうか。
やや大げさに言えば、それが人類社会の進化なのであり、まさにそのために人類は、ここまで技術を進化させて来たのではないか。
我々現代人には、現代人としての「考えるべき姿勢」がある。それは、「技術」ということをもっと真剣に捉えなおさなければならないということだ。
21世紀を生きる我々は今後、便利で快適な生活と、地球環境の保護という二律背反するような課題に対して、「技術」という叡智をもって立ち向かっていかねばならない。
関連リンク
- ロサンゼルスの無人自動運転タクシー
- 日本交通ほか2社共同プレスリリース
- グーグル印西データセンター
- 「サイバースペースの地政学」(小宮山功一朗・小泉悠著/ハヤカワ新書)
- 「データセンターを支える光伝送技術 ~エッジデータセンター編」
守秘義務が関係するので詳細は書けませんが、日本メーカーは無人の自動運転は技術的には問題無いとの事で、実験や検証も既に成功しているとの事。
問題点は、
①事故時は誰の責任になるのか?の法的な面
②致命的な問題点として、ハッキングによって車の操作が乗っ取られ、テロなどに使用される危険性が完全には排除出来無いとの事。
数十台の車がハッキングされ、テロに使用されたら社会は大混乱になりますね^^;