半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

真珠湾攻撃から65年

2006年12月08日 18時24分10秒 | コラム
こんばんは、半次郎です。

今日、12月8日は、日米開戦の日です。
広島も、長崎も、全ては、ここから始まった訳です。

今朝の読売新聞の編集手帳は、平和主義者で大の軍人嫌いで知られた武者小路実篤の随筆に記された「12月8日は大した日だった」「勝利はよき哉」という文を紹介し、平和主義の文学者がなぜ戦争を肯定したり戦争に協力したのか?という問いかけで始まっています。

武者小路実篤、林芙美子、菊池寛らの名を挙げて、戦時中に言動をとがめられた文学者には、大衆のことを親身に案じてきた情の深い人が少なくないと・・・。

そして、戦後、公職追放になった時、菊池寛は憤りを込めて、「僕はこんな戦争に賛成ではなかったが、始まった以上は、全力を尽くして負けないように努めたのは当たり前だし、誇りに思っている」と語ったという。

これが、戦争のもう一つの怖さでしょう。
みんな、誰しもが反対をしていたのでしょうが、いざ始まってしまったら、負けることよりも勝つことを望むものなのです。
だから、怖いのです。

読売新聞の編集手帳は、こう締め括ります。
戦争は雪だるまをつくる雪の玉に似ていると・・・。
最初に雪を丸めたのが、無謀で乱暴な軍部であったとしても、いったん転がりだせば、平和を愛する人も、良識ある人も、全ての人を巻き込んで大きくなっていくのだと。
・・・だから、まだ小さい内に(後のことを考えずに)転がしてはいけないんだと。

素直に頷ける一文でした。

“冬”(開戦の日)と“夏”(終戦の日)に、とてつもなく重たいものを背負わされたかたちになりますが、背負わされた以上は、全世界が平和になるその時まで、ずっと背負い続けたいものですね。
それが日本の責任だと思います。

                               from 半次郎

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12月8日付・編集手帳
 武者小路実篤は筋金入りの平和主義者として、大の軍人嫌いとして知られた。
その人が「十二月八日は大した日だった」「勝利はよき哉(かな)」と随筆に書いている。
65年前のその日、世を覆った高揚感がいかほどであったかは、当時の空気を吸い、当時を生きた人でなければ、肌で分からないのだろう。
今年も日米開戦の日が巡ってきた。
 時折、不思議に思うことがある。
戦争を肯定した、戦争に協力したとして戦時中の言動をとがめられた文学者には情の深い、大衆のことを親身に案じてきた人が少なくない。
武者小路しかり、林芙美子しかり、菊池寛しかりである。
 戦後、公職追放になったとき、菊池は憤りをこめて語った。
「僕はこんな戦争に賛成ではなかったが、始まった以上は、全力を尽くして負けないように努めたのは当たり前だし、誇りに思っている」と。
 人は誰しも、情の深い人はなおさら、戦地にいる兵隊さんの力になりたいと思う。
戦争は雪の玉に似ていよう。
最初に雪を丸めたのが無謀で乱暴な軍部であったとしても、いったん転がりだせば、平和を愛する人、良識ある人をも巻き込んで大きくなっていく。
 だから転がしてはいけない、始めてはいけないのが戦争だろう。
8月15日の終戦記念日と同じように、それ以上に、「不戦の誓い」の重さをかみしめる日である。
                   
(2006年12月8日1時51分 読売新聞)


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