半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

『挨拶の極意』

2013年05月24日 12時05分01秒 | ★ やや半次郎の世界 ★

こんにちは、やや半次郎です。

早速、やや半次郎の可笑しな世界をお楽しみ下さい。

………………

『挨拶の極意』

毎日、何気なくやっていることでも、ちゃんと年代やシチュエーションに応じたやり方があるものだ。
挨拶もその一つだ。
もし君たちが、40代に差し掛かり、それなりの地位についた時には、その地位に相応しく、落ち着き払った態度で挨拶してみるといい。
よぉ、調子はどうだい?…ってねぇ。

「最高だ」あるいは「まぁまぁだ」って言われたら、おめでとう、それは良かったじゃないか…と答えよう。

「あまり良くないんだよ」って言われたら、おめでとう、それは良かったじゃないか…と答えよう。

「えっ、おんなじじゃないですか!」

まぁ、そうだな。
良い時や普通の時は、これは悪くないからおめでとうで良いなぁ。
問題は悪い時だ。
普通の人ならば、その内良くなりますよなどと曖昧模糊とした言葉を投げかけるに違いない。

だがしかし、そんな挨拶に何の意味があるのだ。
挨拶というのは、人と人が短い時間の中で相手の状況を察し、己の思いを伝える行為だ。
上手く行かずに悩んでいたり、元気をなくしている相手を瞬時に察し、乗り越える為のヒントを与える方がありがたいだろ?

だから、たかが挨拶などと軽く考えるのではなく、この機会を逃したら、もうこの人と会うことは出来なくなるのだと思って接するべきなんだ。
俺なんぞは、常に真剣勝負だ。
“こんにちは”という言葉にしても、声の大きさ、イントネーション、訛りを入れるか入れないか…など、あらゆるパターンを用意しているんだ。
相手に合わせ、最適な言い方が出来るよう、常日頃から練習に余念がないのだ。

「これは失礼しました。そういった練習は、何年も前からやっておられるのですか?」

ほほう、いい質問だな。
余念がない位だから4年弱だ。
…って、冗談だ、許せ。
たまには冗談も言うのだ。
何せ、瞬時に相手のことを察するのだ、冗談を欲している人と出会ったら、ダジャレの1つも出さねばなるまい。

ただな、欲してもいない相手にダジャレを連発するのは良くないぞ。
ダジャレは、相手の話しを受けて、最適なものを選択して挿し挟むに限る。

よくダジャレを言いたいが為に話題を振る奴がいるが、あれはあまり感心しない。

例えば、「へい(塀)。」と言いたい為だけに「隣の空き地に囲いが出来たってねぇ。」と話題を振る奴がいる。
隣に空き地なんぞないのにだ。
そして、相手が面食らっていると、すかさず「囲いだけに、へ~ぇ(塀)と言って欲しかったなぁ。」とかと言っておる。

しかしだ、相手が先に「へ~ぇ(塀)」と応えたらどうなると思う?
自分のセリフを取られたとばかり、不機嫌になるか笑って誤魔化すかのどっちかだ。
その時には、彼の心はもう君から離れてしまっているのだ。

「あのぉ、すいません、挨拶の話しはどうなったのでしょうか?」

おぉ、そうであった。
だからな、挨拶というものはだな、他のスポーツなんかと同じように、毎日、毎日、繰り返し実践することで上手に出来るようになるんだ。

1日休むと自分が気付く。
3日休むと師匠が気付く。
7日休むと観客が気付くのだ。

「挨拶の観客って誰なンすか?」

いいんだ、そんなことは。
だから…毎日、毎日、僕らは鉄板のぉ~、上で焼かれて、嫌になっちゃうよ~…って、違うか。
アルシンドになっちゃうよ…って、これも違うか。

「先生、大丈夫ですか?」

私を先生と呼ぶな!
見ず知らずの君らに先生呼ばわりされるスジ肉はない。
この世で先生と呼べるのはただ一人、三宅さんだけだ。

「誰、それ?」

たわけ者!
三宅さんはなぁ、町内で一番、物知りな御仁だ。
ニワトリが、何故、朝になると鳴き出すのかを教えてくれた唯一のお方なのだ。

「あっ、それ聞きたい!」

たわけ!
拙者がそなたに、この話しを教えてやる牛スジはない!

「スジ肉も牛スジも違うと思いますけど。ホントは忘れたんでしょ?」

無礼者!
何を言うか!
ニワトリが早朝に鳴くのはだなぁ、三宅先生曰わく、鳴きたかったからだ。
分かったか!

「あっ、俺、買い物の途中だった。さいなら。」
「俺も何か用事があったな。サイナラ。」

おいおい…、みんな帰っちまった。

挨拶は、誰もいないところでやっても、意味がない。
生きてる価値が見いだせないからな。
これが結論だ。

よし、三宅先生に報告しとかなくっちゃ。

by やや半次郎



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