見事に黒曜石の石器です。
ある晴れた休みの日のこと…
いつものように足に飛び乗って来たり
ゴムを引っ張り合って遊んでいました。
すると、急にフジが一心不乱に地面をつついていたので、何だろうと思ってよく見たら…
黒曜石で出来た石器でした。
キラキラしていたから気になったのでしょう。
ここ掘れワンワンではなく、コッコッと、次は庭に武田家の埋蔵金が埋まっている!とか、教えてくれないかな?
キラキラと輝く金塊がザックザク♪
果たして隠し金山で掘った金は何処へ?
黒曜石…コレはコレで、歴史好きからすると嬉しいですね。
見事な打製石器です。
塩尻を含めた松本平一帯や諏訪湖周辺は、縄文時代から平安時代にかけての遺跡が、数多く見つかっています。
たぶん、うちの庭や畑も掘れば、遺跡か出でくるんじゃないでしょうか?
大昔に人が住んでいて遺跡や土器、石器等が出るということは、自然災害が少ない場所だと考えられます。
自然に対抗できるような土木技術が無い時代、人々は川や山の付近など、食糧が容易に確保出来る場所でありつつも、洪水や土砂崩れなどの災害が無いところを選んで集落を形成していましたし、何より16500年~3500年前の遺跡が、自然災害で流されたり、土砂で深く埋められたりしていないことが、安全を証明しているといえます。
そんなわけで、石器をゲットして、庭でニワトリと遊んだり、見守りながら考え事…
しまいには、世界四大文明説というのも、そもそも眉唾な学説ですが、この説を教えているのは日本だけというお粗末なものです。
日本の文明、文化は、黄河文明の衛星文明、真似事であると、自虐史観的に子供達へ刷り込もうとする人達にとって、都合が良い話なので未だに改正することなく教えているわけです。
日本の歴史教育は史実であるか否かは関係なく、とあるイデオロギーにとって都合が良いか悪いかで判断されて教えられています。
本来、歴史はとても面白いものです。
しかし、学校での歴史の授業は、出来事と発生年を覚えるだけの暗記ゲームに徹しています。
それは何故か?
嘘を教えているからです。
嘘で塗り固めれば、歴史が繋がるはずもなく、今の学校教育で行われているような、単発に出来事と発生年を覚えることしか、授業は成立しません。
学校では、嘘をついてはいけないと教わるのに、授業は平気で嘘を教えている…というのが、学校教育における歴史というものです。
※もし、このブログを見ている中高生がいたとしても、「とりあえず」授業で言われたことをテストでは回答しましょう。
自分のように、授業そのもや教師を懐疑的に思って口論していると、めちゃくちゃ良い点数を取らないと、評価を下げられます。
大学へ行くまで臥薪嘗胆です。
自分は政治思想史研究が専門だったため、歴史を逆引きして、整合性が取れるか…という作業を大切にしていました。
年表を順に負っても逆に追っても、頭が回る人間だったら、あらゆる行動には因果関係があるので、ある時代のある出来事の前後で、流れがぶつ切りになることは、おかしいのです。
歴史の授業も、縄文時代から現代に流して教えるのではなく、現代から過去に向かって教えるべきだと、学生時代に論述したことがありますが…そうすると教科書の嘘がバレやすくなるので不可能でしょうね。
かつて、現代政治は分国法辺りまで遡って辿ると、実態が見えてくると思っていましたが、その先…政治観の元になる宗教観や倫理観などが、かなり特異な民族である日本人とは何者か?と思うことが多く、縄文時代まで遡って考えると、なかなか面白いと感じるようになりました。
我が家のある場所は、縄文時代の頃はどんな場所だったのでしょうか?
とってもロマンを感じます。