信州塩尻発 田舎暮らし日記

生まれも育ちも埼玉県飯能市。現在は移住して長野県塩尻市民です。 田舎暮らしや趣味の事、居合道の事等々を書いております。

沈黙の春?

2020年04月09日 | 信州塩尻田舎暮らし





環境問題に初めて警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンの名著『沈黙の春』…

かつて一般的に用いられていた環境負荷が大きいDDT等の農薬により、自然の生き物が死滅して、春なのに小鳥の囀りさえ無くなった。
そんな恐ろしい表題の本でした。

今年の春は逆ですよね。
桜や菜花が咲き誇り、鳥は囀り虫は飛び、賑やかな春ですが、人間の世界は…まさに沈黙の春です。

人間の文明が、どのような惨状になっていようが、自然は自然の摂理に則って、いつもの春と変わらない表情を見せてくれています。

嬉しいですが、心から春を迎え入れられない気持ちが、自然に対し申し訳ないです。





塩尻市街では既に1週間以上前から水仙が咲いていますが、少し標高が高い我が家の庭では、昨日ようやく咲き出しました。
福寿草も葉が茂って、花はコレが最後といった感じです。

このような春真っ只中…


ついに都市部に緊急事態宣言が出ましたね。
実際のところ、緊急事態宣言が出ていようが出ていまいが、手洗いうがいはこまめにしていますし、人混みに行かないとか、特に屋内への不要不急な外出はしないということは当たり前なので、そんなに慌てるようなことは無いと思いますが。

むしろ地方の自分からすると、かなり時間をかけてネットでも情報収集出来たにも関わらず、よく状況を分かっていない人達が半ばパニックになって東京等の都市部から地方に疎開し、ウイルスを全国隈無くばら撒くといったことの方が迷惑です。
朝日新聞が東京脱出というワードを煽ったことも原因の一つでしょう。

このような事態にならないよう、緊急事態宣言を発令するまで時間をかけたのでしょうが、マスコミやネットニュースでは「早く宣言を出せ」とか「決断が遅い」などと煽ることに徹し、どのように生活が変わるか、どのように過ごせば良いのか等の報道が少なかったのは残念です。

そもそも、今回の武漢肺炎や自然災害の時は、国がどうするべき、自治体がこう言った…ではなく、状況や情報資料を見て自分なりに判断するということが、本来の自由主義国家での個人の在り方だと思いますし、この期に及んで政府の対応を批判ばかりしているのは、率直なところ憂さ晴らしとしか思えないです。

責任ある大人が、政府や行政に指示されなければ自発的に行動も出来ないのでしょうか?
感染拡大を食い止めるのは、もちろん行政にも一定の責任はありますが、個人の努力義務、責任も等しくあります。

まあ…長野県の感染者は、この時期に都市部や海外へ出かけたり、帰省してきて発症…といった人が多い。
政府や自治体がこれ程呼び掛けていても、このような行動をする個人が一定数いることは極めて残念ですし、こうした人達を処罰できるように法整備することが、政府の責任とも言えますが、なかなか難しいでしょうね。私権制限だと声高に反発する人達がいるので。

一方で、何でもかんでも自粛をしないといけない…というわけでなく、節度を持って行動すれば良いということが、今回の外出に罰則もなく、都市封鎖も無い緊急事態宣言だと思います。

進学校ほど自由で校則が緩く、底辺校ほど頭髪や服装、男女交際など、あらゆることが校則で雁字搦めにされますが、進学校の生徒のように、国民個人の見識、常識ある行動に政府は委ねたわけです。
何も政府が無責任なのではなく、本来自由主義を謳うのであれば、個人に責任が帰結するのは当たり前のことです。

幸いにも、某国のようにサッカーを無観客試合で開催したのに、スタジアムの周りにサポーターが押し寄せたり、コロナチャレンジと称して便座を舐め、感染して死亡する…という国民レベルでは無かったことは良かったです。

自粛が重要とはいえ、本土空襲の頃のように、毎日箸が立たないさつま芋のツル入りの雑炊を食べたり、大日本国防婦人会のご婦人方が「贅沢は敵だ!」と言って回るほどストレスフルな生活をする必要は無いですし、もちろん食品を買うために外出したら、憲兵隊や特高警察にしょっぴかれて拷問を受ける…といったことも無い。
当然経済も回さないといけないのですから、常識や節度をもって、程々に行動すれば良い…ただそれだけだと思います。

日本は、長い歴史によって培われてきた伝統や文化があります。
常識や節度というものは、こうした伝統、文化が無ければ存在し得ない規範であり、日本が誇るべきものです。
戦後教育で、それらはボロボロにされ、卑しく扱われて来ましたが、それでもDNAに染み付いた日本人としての不文法は存在しているはずです。

今、自分自身はどう生活するべきか?
責任ある一人の日本人として、ウイルスも社会も経済も、考えながら行動したいものですね。

ハクモクレンの花が咲く

2020年04月05日 | 信州塩尻田舎暮らし







白樺~青空~南風~こぶし咲く~あの丘北国の~ああ北国の春~

と、寒い地域の春を歌った千昌夫さんの「北国の春」
実は北国…東北を歌ったものではなく、長野県らしい。
作詞者のいではくさんは長野県南牧村の出身で、故郷の情景を歌にしたとのことです。

曲名が「故郷の春」だったら誤解が無かったでしょうが、「北国の春」では東北を連想しますよね。

そして、我が家の玄関先に生えている木…

てっきり「北国の春」に出てくるコブシの木かと思い込んでいました。

コブシは花が開きますし、それも一気に開花するはずなのですが、ずっと蕾でおかしいと思っていたら、花弁の枚数が9枚あり、コレはハクモクレンでしたね。
コブシは花弁が6枚ですから。



かつて平家の落ち武者が山へ逃げ込み身を潜めていたところ、ある朝外を見れば、遠くの山に源氏の白旗が多数翻っており、最早これまでと落人達は自刃。
しかしながら、源氏の白旗と思っていたものはコブシの花だったという悲話もあります。
大きい花だし、木にたくさん咲くので、とても目立ちますからね。

緊張状態にあると、敵を過大評価したり過小評価したり、幻を本物と思い込んだりと、適切な判断が出来なくなるものです。
だから平常心でいられる人が、最も心が強い人だと思っていますし、自分もそうでありたいと、日々鍛えているわけです。

ちょうど昨日、会社に生えている桜も開花しました。
これから春本番です。





むやみに人混みに行かず、手洗いうがいをこまめにしつつも、あまり緊張し過ぎて、いわゆるコロナ疲れ状態になってしまうと、ストレスによって免疫が下がり、感染しやすくなることでしょう。
長期戦になることが大いに予想されるので、ずっと気を張っていることは、むしろマズいと個人的には思います。
明日は我が身という言葉もあるので、出歩かないに越したことはないですが、バランスが大事だと思っています。
まあ、東京のようになってしまったら、我慢してでも外出してはいけないでしょうし、長野県も感染者が徐々に増えているので、時間の問題でしょうが。

敵の勢力は正しく掌握して正しく対処。
戦闘時の基本を守りつつ、適度に春を楽しみたいものです。

庭から石器が出土

2020年04月04日 | 信州塩尻田舎暮らし


見事に黒曜石の石器です。

ある晴れた休みの日のこと…




いつものように足に飛び乗って来たり



ゴムを引っ張り合って遊んでいました。

すると、急にフジが一心不乱に地面をつついていたので、何だろうと思ってよく見たら…



黒曜石で出来た石器でした。
キラキラしていたから気になったのでしょう。

ここ掘れワンワンではなく、コッコッと、次は庭に武田家の埋蔵金が埋まっている!とか、教えてくれないかな?
キラキラと輝く金塊がザックザク♪
果たして隠し金山で掘った金は何処へ?

黒曜石…コレはコレで、歴史好きからすると嬉しいですね。
見事な打製石器です。

塩尻を含めた松本平一帯や諏訪湖周辺は、縄文時代から平安時代にかけての遺跡が、数多く見つかっています。
たぶん、うちの庭や畑も掘れば、遺跡か出でくるんじゃないでしょうか?
大昔に人が住んでいて遺跡や土器、石器等が出るということは、自然災害が少ない場所だと考えられます。
自然に対抗できるような土木技術が無い時代、人々は川や山の付近など、食糧が容易に確保出来る場所でありつつも、洪水や土砂崩れなどの災害が無いところを選んで集落を形成していましたし、何より16500年~3500年前の遺跡が、自然災害で流されたり、土砂で深く埋められたりしていないことが、安全を証明しているといえます。


そんなわけで、石器をゲットして、庭でニワトリと遊んだり、見守りながら考え事…


自分が中学生の頃の授業では、縄文時代は狩猟採取文化だったが、朝鮮半島から来た弥生人によって縄文人は駆逐されて農耕文化が日本に広まったと習いましたが、既に縄文時代に縄文人が農耕を始めたことを証明する遺跡も見つかっており、先の学説は否定されています。

しまいには、世界四大文明説というのも、そもそも眉唾な学説ですが、この説を教えているのは日本だけというお粗末なものです。
日本の文明、文化は、黄河文明の衛星文明、真似事であると、自虐史観的に子供達へ刷り込もうとする人達にとって、都合が良い話なので未だに改正することなく教えているわけです。
日本の歴史教育は史実であるか否かは関係なく、とあるイデオロギーにとって都合が良いか悪いかで判断されて教えられています。

本来、歴史はとても面白いものです。
しかし、学校での歴史の授業は、出来事と発生年を覚えるだけの暗記ゲームに徹しています。
それは何故か?

嘘を教えているからです。
嘘で塗り固めれば、歴史が繋がるはずもなく、今の学校教育で行われているような、単発に出来事と発生年を覚えることしか、授業は成立しません。
学校では、嘘をついてはいけないと教わるのに、授業は平気で嘘を教えている…というのが、学校教育における歴史というものです。

※もし、このブログを見ている中高生がいたとしても、「とりあえず」授業で言われたことをテストでは回答しましょう。
自分のように、授業そのもや教師を懐疑的に思って口論していると、めちゃくちゃ良い点数を取らないと、評価を下げられます
大学へ行くまで臥薪嘗胆です。

自分は政治思想史研究が専門だったため、歴史を逆引きして、整合性が取れるか…という作業を大切にしていました。
年表を順に負っても逆に追っても、頭が回る人間だったら、あらゆる行動には因果関係があるので、ある時代のある出来事の前後で、流れがぶつ切りになることは、おかしいのです。

歴史の授業も、縄文時代から現代に流して教えるのではなく、現代から過去に向かって教えるべきだと、学生時代に論述したことがありますが…そうすると教科書の嘘がバレやすくなるので不可能でしょうね。

かつて、現代政治は分国法辺りまで遡って辿ると、実態が見えてくると思っていましたが、その先…政治観の元になる宗教観や倫理観などが、かなり特異な民族である日本人とは何者か?と思うことが多く、縄文時代まで遡って考えると、なかなか面白いと感じるようになりました。

我が家のある場所は、縄文時代の頃はどんな場所だったのでしょうか?
とってもロマンを感じます。

レコードプレイヤー復活(日本コロムビア製)

2020年04月02日 | 信州塩尻田舎暮らし




うちは、家財道具が全て残されたまま引き渡されたので、カビ臭い布団など不用品を処分する必要がありましたが、逆に貴重な大正期の書籍や戦時中の物など、政治思想史や歴史研究を生涯続けようと思っている自分にとって、お宝の山でした。









そして古めかしい家で音楽を聴くとなれば…やっぱりレコード!
ホントは手回しの蓄音機が欲しいところですが…

昭和歌謡やクラシックのレコードと共にレコードプレイヤーも遺されていました。
日本コロムビア製のレコードプレイヤーです!
コロムビアって、プレイヤーも作っていたとは知りませんでした。

が、ターンテーブルが回らない。




分解してみると、ターンテーブルを回すゴムバンドがドロドロに溶けてへばりついている…
とりあえずネットでベルトを注文して、モーターの軸を合わせて…
飛んでいる基盤をハンダ付けして、右スピーカーが断線していたので繋ぎ直して
ついでに針も交換して…(意外と、当時の針もネット上ではあるものなんですね!)

いつも仕事でデカい機械を直しているので、これくらいだったら朝飯前です。




聴けるようになりました!
ちょっと回転が早いかな?
村田英雄さんの「王将」!大好きな曲です!
「吹けば飛ぶような将棋の駒に 賭けた命を笑わば笑え 」この一節が男の狂気と熱意を上手く表現していて、とても好きです。
「友を選ばば書を読みて 六分の狂気四分の熱」と言いますからね。
…この歌…「人を恋ふる歌」…同世代で知っている人いるかな…?よく大学時代に、同じ学生服を着た武道系団体の仲間と飲みながらもとい、素面でも歌っていましたが。

終わったら自動で針を戻してくれる機能は、残念ながら使えませんが、聴けるだけでも十分です。

古道具屋さんによくレコードが売られているので、それを物色するのも楽しくなりそうです。