最近、インターネットで『インクルーシブ教育』という言葉を見つけ、とても興味があったので調べてみました
文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会は最近、特別支援教育の在り方の再検討を始めました。障害者権利条約の締結を視野に、「インクルーシブ教育システム」を構築することを目指すとしています。インクルーシブとは、多くの人には聞き慣れない言葉だと思います。いったい、どういうことでしょうか。
インクルーシブ(inclusive)とは、「含んだ、いっさいを入れた、包括的な」(ベネッセコーポレーション『Eゲイト英和辞典』)という意味です。
『障害の有無によらず、誰もが地域の学校で学べる教育。国連の障害者権利条約の批准に向けて国内の法整備が進む中、昨年7月に成立した改正障害者基本法でインクルーシブ教育の理念が盛り込まれた。義務教育段階で特別支援学校・学級に通う児童生徒の人数は、富山県で1804人(昨年5月現在)、石川県で1663人(今年4月現在)、福井県で1370人(昨年5月現在)。いずれも公立小中学生全体の2%前後となっている。』
( 2012-04-26 朝日新聞 朝刊 石川全県 2地方 )
障害者だからといって排除されたり、単なる保護の対象として扱われたりするだけでなく、健常者と同じ権利を持った主体として、社会の一員に含まれるような「共生社会」を目指そうというものです。その基となった障害者権利条約では、障害者の「自ら選択する自由」が強調されています。
障害のある児童・生徒に対する教育は、かつて「特殊教育」と呼ばれ、障害の種別に対応した教育を行うことが主流でした。しかし最近では、障害の重複化とともに、発達障害など軽度の障害も注目されるようになっています。そこで、グレーゾーンも含めて、一人ひとりに必要な支援は何かという立場から教育を考えよう、ということで、2006(平成18)年の学校教育法改正で「特別支援教育」に改められています。
一方、政府の「障がい者制度改革推進本部」が目標に掲げたのが「インクルーシブな社会の構築」であり、そのための「インクルーシブ教育システム」です。
しかし、インクルーシブ教育の理解は一様ではありません。障害者権利条約にある『一般教育制度から排除されず、その中で支援を受ける』ということは、果たして特別学校を全否定することなのでしょうか。通常学級が常に発達を最大にする環境となりうるのでしょうか。
排除を無くすというのは、単なる学校という「場」の問題ではありません。通常学級に在籍していても、いじめ・不登校など学習への参加が保障されず、排除されている子どもがたくさんいます。
今後、学力向上主義や競争がますます強まれば、たとえば、習熟度別の指導による序列化によって特別支援学級(教室)はその底辺に位置づけられないでしょうか。その結果、学力テスト対策の一環として特別支援学級に移される子どもも現れないでしょうか。特別支援学級の弾力的活用を進めるため、普通学校、通常学級への参加をのぞむ子どもたちが特別支援学校に移されないでしょうか。特別支援学校でも、成果主義が支配し、一般就労可能な(あるいは進学可能な)生徒が重んじられ、重度の子どもはないがしろにされないでしょうか。これらは私が現実に懸念する排除の構図です。
長くなるので次回に続きます。三回くらいになりそうです。
文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会は最近、特別支援教育の在り方の再検討を始めました。障害者権利条約の締結を視野に、「インクルーシブ教育システム」を構築することを目指すとしています。インクルーシブとは、多くの人には聞き慣れない言葉だと思います。いったい、どういうことでしょうか。
インクルーシブ(inclusive)とは、「含んだ、いっさいを入れた、包括的な」(ベネッセコーポレーション『Eゲイト英和辞典』)という意味です。
『障害の有無によらず、誰もが地域の学校で学べる教育。国連の障害者権利条約の批准に向けて国内の法整備が進む中、昨年7月に成立した改正障害者基本法でインクルーシブ教育の理念が盛り込まれた。義務教育段階で特別支援学校・学級に通う児童生徒の人数は、富山県で1804人(昨年5月現在)、石川県で1663人(今年4月現在)、福井県で1370人(昨年5月現在)。いずれも公立小中学生全体の2%前後となっている。』
( 2012-04-26 朝日新聞 朝刊 石川全県 2地方 )
障害者だからといって排除されたり、単なる保護の対象として扱われたりするだけでなく、健常者と同じ権利を持った主体として、社会の一員に含まれるような「共生社会」を目指そうというものです。その基となった障害者権利条約では、障害者の「自ら選択する自由」が強調されています。
障害のある児童・生徒に対する教育は、かつて「特殊教育」と呼ばれ、障害の種別に対応した教育を行うことが主流でした。しかし最近では、障害の重複化とともに、発達障害など軽度の障害も注目されるようになっています。そこで、グレーゾーンも含めて、一人ひとりに必要な支援は何かという立場から教育を考えよう、ということで、2006(平成18)年の学校教育法改正で「特別支援教育」に改められています。
一方、政府の「障がい者制度改革推進本部」が目標に掲げたのが「インクルーシブな社会の構築」であり、そのための「インクルーシブ教育システム」です。
しかし、インクルーシブ教育の理解は一様ではありません。障害者権利条約にある『一般教育制度から排除されず、その中で支援を受ける』ということは、果たして特別学校を全否定することなのでしょうか。通常学級が常に発達を最大にする環境となりうるのでしょうか。
排除を無くすというのは、単なる学校という「場」の問題ではありません。通常学級に在籍していても、いじめ・不登校など学習への参加が保障されず、排除されている子どもがたくさんいます。
今後、学力向上主義や競争がますます強まれば、たとえば、習熟度別の指導による序列化によって特別支援学級(教室)はその底辺に位置づけられないでしょうか。その結果、学力テスト対策の一環として特別支援学級に移される子どもも現れないでしょうか。特別支援学級の弾力的活用を進めるため、普通学校、通常学級への参加をのぞむ子どもたちが特別支援学校に移されないでしょうか。特別支援学校でも、成果主義が支配し、一般就労可能な(あるいは進学可能な)生徒が重んじられ、重度の子どもはないがしろにされないでしょうか。これらは私が現実に懸念する排除の構図です。
長くなるので次回に続きます。三回くらいになりそうです。