檄文!!サッカー

熱くなり、何より愛すべきサッカーについて書きます。
その過程で得られた市民意識を元に、世情についても論述中。

仕事中の手を止めて!

2008年01月16日 09時00分06秒 | 常識+教育
2008年1月16日、bayfmを聞いていた。

8:40頃に主婦が、家事の手を止めて聞いていました。
というメールが届いたという話を斉藤りささんがしていた。

しかしこれが、仕事中のサラリーマンなら褒められた話では無い。

しかし仕事の判断が自分で下せる自営業の社長や、それなりの立場にある人間ならどうであろう。

それは手を止めて聞きいっても、聞いている内容によっては問題ない気がする。

ラジオとはそういうものだ。

玉音放送もラジオだからね。

しかし、部下を怒っていた上司がふと黙り込んでラジオを聞き入ったらどうだろう。

部下もいきなり黙られて、困惑する筈だ。

しかしラジオを聞き入ってしまっている上司からすれば、部下の困惑は気にならない。

むしろ部下に、「いい話ですね。」

とか、ラジオの話題に触れてほしい筈だ。

結局、人間なんてそれぞれ自分第一である場合が多い。

他人に合わせて生き抜くなんて方法もあるが、それは徒労の連続では無かろうか。

自分の価値観を確立し、「お天道様に恥じない様な生き方」っていうのを追及する方がよっぽど生き物らしい。

何がお天道様だと思ったそこの、俺と御前。

ググったら、松下幸之助もお天道様に恥じないって考え方で経営取り組んでいたそうですよ。

松井証券の松井社長も、松下幸之助から見習って言ってるらしい

これを、日本人の宗教だと言う意見もあります。

宗教とまでは私は思いませんが、宗教に代わる宗教観だと言えるでしょう。

宗教観について詳しく自説を述べていそうなサイト)

新渡戸稲造の武士道の精神なんてより、よっぽどお天道様に恥じない生き方っていうのは日本人に根付いてると思います。

明治政府は薩長にぶら下がった武士以外を否定して、農民から徴兵した訳なんだから。

薩長は外国と戦争して負け、多額の賠償金という債務を幕府に肩代わりしてもらったばかりではく、終いには藩の方々から負っていた債務を踏み倒していったという始末。


特に薩摩藩士なんて、アメリカでも焼かない京都を焼いちゃう。

テロを起こす様な集団を、わざわざ鹿児島から京都まで送ってしまう終わった組織。

関ヶ原で一戦も交えなかった、島津義弘の精神はぶっ飛んでます。

戦国時代の鬼島津の名で朝鮮を轟かせた、その名君と呼ばれる島津義弘の頃から物資の補給は現地調達。



つまり暴力に訴えて、略奪推奨の組織。

逆に織田信長は、兵の略奪は死罪で一貫してました。


話はそれたけれども、まぁ、一番大事なのはメモ魔になる事だと思うよ。

仕事中の手を止めて、メモを取ってその情報を身につけるべく整理する術を確立しましょう。

メモ引いては記録を取るって事からしか、自分を知る術って無い様な気がする。

ピッチャーだってバッターだって、自分のフォームは鏡で見たり。

VTRやらスローモーションでチェックするか、仲間に見てもらうかなんだから。

そういった作業でも、自分の価値観が物を言う。

価値観の拠り所として、「お天道様に恥じない」っていう考え方は必要なんじゃないかな。



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