檄文!!サッカー

熱くなり、何より愛すべきサッカーについて書きます。
その過程で得られた市民意識を元に、世情についても論述中。

Topの果たすべき役割

2007年12月04日 18時28分03秒 | サッカー その他

_サッカーにおいて、私が応援する二つのチームが今どん底です。

浦和レッズ、Lazio。

今読み進めている、「スティグリッツ教授の経済教室」 ダイヤモンド社 という本にこの混迷を抜け出す答えを見つけました。

ジョセフ・E・スティグリッツは、第3章「ブッシュ大統領の深刻な誤り」 P.148の「大統領はどこまで責任を問われるべきか」の項。

エンロンの元CEO「ケン・レイ」を引き合いに出してこう述べています。

私なりに要約しますと、3点です。

「何もかも把握する事は不可能でも、起こった事に責任が生じる」

「組織で起きた事に厳しく問いただし、活動の源泉となる文化(風土)や、時には活動を抑える文化(風土)を作る事が責任である」

「そして、組織が問われた際の説明責任は基本である」




_現在、浦和とLazioに共通しているのは、過密スケジュールと怪我人続出による非常事態。

この二つは密接に関わっており、リンクしていると言っても過言では無いでしょう。

つまり非常事態である事を、周囲に説明責任があった訳です。

この説明責任の取り方が、浦和監督ホルガー・オジェックとLazio監督デリオ・ロッシでは違います。

簡単に言えば、ロッシは試合の前後やその他の補強について尋ねられても監督としての分析を交えて質問に答えています。

一方オジェックはというと、自らの手法や起こった結果について論じたり疑問を唱える事すら好みません。

ただ表面的な受け答えにしか過ぎず、自らのやり方に波風を立てられる事を何より嫌うのです。

ですから、自分の仕事と感知しない範囲の質問については例え報道の質問であっても形だけの受け答えにしかなっていない。

もしくは、自らを正当化する発言しか聞こえてこないのです。

そのオジェック率いる浦和レッズは、10月の末から得点力不足による引き分けが多く、延長戦を戦い抜いてのPK戦による勝利でACLを制した。

問題が表面化したのが、12月1日に行われたJリーグ最終節。

降格が10月20日で決定していた、最下位の横浜FCにアウェーとはいえ0-1で敗れた末に9連勝の鹿島に追い抜かれ、優勝出来なかった。

横浜FCはリーグ戦を、5月26日以来20試合(3分け17敗)ぶりの白星を金星で飾りました。

その直前の直接対決はホーム「さいたまスタジアム2002」で満員のサポーターの後押しがありながら、0-1で敗れていたのです。

直接対決で敗れていたのですから、優勝した鹿島にはチャンピオンの資格が優勝が決まる前から備わっていた訳です。

得点力不足や闘争心の欠如という問題をまったく論じようともせず、ただ自作自演に近い引き分けを良しとするサッカーを選手に強要していたのでした。

これがサポーターの間でも、世間でも問題として認識されたのが最終節が終わって優勝を鹿島にさらわれた後。

後の祭りとはこのこと。


_Lazioにおいては、CL本戦に向けて予選最終戦のアウェー、レアルマドリッドとの試合を残し。

ホームでオリンピアコスに勝利すれば、予選通過の目処が立つという
状況。

30分にパンデフの先制点を挙げるも、35分ガジェッティ、64分途中出場(56分から)のコヴァチェビッチに勝ち越し点を決められて1-2で敗れました。

リーグ戦でも怪我人を理由に、13試合で勝ち点14。3勝5分け5敗 当失点差-4 の20チーム中15位の成績。

下位が17位~20位まで勝ち点10で並んでおり、すぐ下の13位のチームは勝ち点13で迫られています。

チームは他のチームより1試合、行われた試合が少ない。

とは言えこれではCLを戦い抜くチームというより、降格争いに片足突っ込んだチームなのです。



_TBSのスーパーサッカーの開幕予想で、解説者の小倉隆史は優勝候補に挙げていた。

しかし自らの古巣である名古屋の不調や、甲府の降格は予想しておらずサッカーのシーズン前の予想は難しいと言う事である。

話は元に戻る。

開幕2連敗の後、引き分けを挟んで3敗目を喫した鹿島。

急に強くなったから9連勝が達成出来たのでは無いが、小笠原がイタリアで経験を積んだ上で復帰した事による中盤の充実は一番大きな要素である。

戦力の点で言えば、これだけで話が終わるのかもしれない。

ただしこの記事のタイトルは、Topの果たすべき役割である。

残念ながら小笠原満男は、Topでは無いしそういう役回りを演じるタイプでも無い。

鹿島のキャプテンはサポーターやチーム内で信頼のある柳沢であり、怪我の影響からスタメン出場が遠のいていた。

試合に出られなくても決して腐る事の無い性格は、試合に出場出来ない選手の最大の理解者としてチームを支えていたのではないだろうか。

選手の一戦に賭ける気持ちは、ホーム鹿島スタジアムで行われたナビスコ杯準決勝の第2戦からは感じ取れなかった。

何よりタイトルの懸かった試合という事で、既にこの試合でプレッシャーを受けてピッチに立っていた気もした。

柳沢には試合を見た感想としてメールし、試合の終える姿勢に対して厳しい意見も言った。

では、ナビスコ準決勝第二戦から、オズワルド・オリヴェイラ監督はどう手腕を発揮したのか。

私は選手が期待に応えて活躍したというより、出る選手出る選手が輝いたというチーム内のレギュラー争いが好循環を生んだ。

攻撃の選手に怪我人も出た事もあり、シーズンを通して王者としての貫禄を放っていた訳では無い。

野球の様に短期決戦で勝ち上がった訳でも無い、例えるならば競走馬をきっちり仕上げてきたと言えそうだ。

「きっちり仕上げてきた」、このワンフレーズが、オリヴェイラの仕事の全貌なのだ。

ここでの鹿島の成功は組織を仕上げる上での、仕上げの言い訳は許されないという事を示す成功例なのである。

組織は幾人のキーパーソンを中心に回る形もあれば、個々人の結束で回る形もある。

そのやり方は一つでは無いし、柔軟性が求められて当然だ。

組織のトップは柔軟性を常に保ち、現状を的確に分析せねばならない。

それにより説明責任は果たされ、そこから打開策が生まれる。

オジェックは説明も不十分であり、柔軟性も欠けている。

何より人身掌掌握に努めず、監督のワンマンで従わない選手は視線すら送らない。

対してロッシは説明責任は果たしているが、打開策を全く描けていない。

歯車が噛み合わなくなると、打つべき手を見出せないのである。

人身掌握は問題ないが、やはりロッシも自分に従わない選手には厳しい。

昨シーズン、最終戦の終了後に選手をねぎらった数日後のチーム主催のパーティーでは一転して、選手達に厳しい言葉を投げかけたのだという。

一方オジェックは、夏にクラブのフロントから補強について尋ねられた際に「必要ない」と答えたという。

邪推だが、自分の意中の選手で無ければ戦力では無いと見なす一つの価値観を表す一例ではないか。

恐らくブラジル人DFネネの契約更新の有無により、外国人枠を空けるかどうかの判断。

それとオジェック意中の選手が、ネネの代わりに入るかどうかで考えたのだと思われる。

もしくは日本人選手でも、経営の苦しいクラブの主力選手や、浦和の戦力となり得て、出場機会を求めている選手もターゲットに挙がったであろう。

何より形が出来ているクラブに、自分の意中の選手を当てはめる事に自信も持ち得なかった事が最大の理由である。

これはロッシにも言える事で、必ずしも補強が第一であるとは考えておらず。

チームが機能する事を、最優先と考えている。

つまりチームありきで、当てはまっていくタイプの選手を割り当てる事が両者に共通している。

つまりは割り当てられた選手は、割り当てられた仕事のみこなす事を要求される形である。

ロッシ監督の場合はオジェックと違い、フロントに獲得を提言したが交渉が不調に終わって移籍が成立しなかった。

欧州に先祖のルーツがあるという証明に時間を割かれ、移籍が成立したカリーソというアルゼンチン人GKがチームに合流出来なかった。

また試合前後には、チームを監督の立場から自分の言葉で意見を述べている。

選手獲得についてもそうだし、全てに対してロッシは自分の言葉を述べようとする姿勢を保ち続けている。

一方オジェックは表層的なコメントに留まり、決して自己の分析を明かそうとはしない。

秘密主義者の様で、他人を信じて用いないのではないか。

また慎重な性格であり、冒険や変化を他者からは絶対に求めない。

自らが先陣を切れなければ、戦場に加わろうとしない頑固さすら伺える。

完全なワンマンなのだ。 その点で言えば、オジェックの対人術はブッシュにも似た所もあるだろう。

ゲルマン魂とカウボーイ精神には、通じる所があるのかもしれない。

オジェックとロッシと対照的なのが鹿島監督オリヴェイラな訳であるが、監督としての仕事のうち、何が決定的な差を生んでいるのか。

それはそこに在る者を受け入れる包容力や、さまざまな出来事を許容出来る度量にある。

オリヴェイラにはそれがあり、ロッシやオジェックにはそれが無い。

対立を好まない監督と、そもそも対立すら起こりえない監督も居る。

オジェックはチームのストライカーでポストプレーヤーでもある、ワシントンと対話不可能までに関係を崩壊させた。

ロッシはフォッジャを戦術的理由からカリアリに放出した、実際はロッカールームを乱す選手として取り扱っていた。

保有権を半分を既に売却し、今はレンタル先でアッズーリ(イタリア代表)にも選ばれる活躍を見せた。

そして何よりLazioは、フォッジャが担うポジションの選手の怪我でチームの攻撃が限りなく縮小してしまっていたのだ。

ロッシはチーム作りというより、人との付き合い方に問題がある。




_私はオリヴェイラを残念ながら、よく見知る事が今まで無かった。

大変な人格者なのではないのだろうか、プレーの不一致というデリケートな問題も彼は選手との対話と試合での実践で解決した。

具体的には本山・小笠原・野沢というファンタジスタと呼べる選手3人を、ピッチで機能させた。

本山・小笠原の二人が噛み合う事も、これまでなかなか難しかった。

それを野沢を含めて機能させてしまったのだ、9連勝も頷ける。




_オリヴェイラ、オジェック、ロッシ。

このサッカーの監督業に見る、Topの果たすべき役割とは何であるか。

私はただ一つ挙げさせて頂く、「言い訳を許さずに仕上げる事。」

強い意志が人を走らせ、勝ちを意識した瞬間に起こる緊張すら解き放つのでは無いか。

仕上げる難しさは当事者にしか分かりえない物であろうが、そこに私情を挟む人間は既に自分に言い訳をしているのではなかろうか。

全ての可能性を探れない人間には、仕上げる事が困難なのであろう。

サッカーの監督だと、イビチャ・オシムが当に私の導き出した答えを実践していた様に思う。

彼の強い意志が、再びピッチに向けられる日を待っています。

 

2012/11/29 22:58 文章修正・カテゴリー変更


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