_昇降口
これは、学校の生徒が出入りする入り口の事ですね。
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学年やクラスごとに靴箱の設置場所が定められており、ただの入り口では無い訳です。
建物に入るだけなのに、そこに選別が始まっている訳です。
つまり教育環境は、選別ありきなのです。
_同じ所在地で、勉学に励む者ですら選別が当然として行われている。
これでは自然状態にある社会に出た際に、新社会人が戸惑うのも無理は無いのかもしれません。
教育は選別の前に、自然状態を生み出す現場努力が必要とされているのではないでしょうか。
つまり弱者、強者。
老若男女、利害関係。
これら全てを教育の場にも生み出さねばならないのです、幸い生涯学習という風習も生まれています。
_中卒が最終学歴の人が、普通の高校に入学してもいいでしょう。
また生徒が少なくなっている小中の教育の場に、きちんと審査を通った上で大人が勉学を学びなおす機会の場として子供と共に学校生活を送ってもいいのです。
教育の壁を壊す事、これが自然状態を生み。
世の中に運びる孤独に対して、一石を投じる結果を生むでしょう。
団塊の世代が、教育の場に学び直すために戻ってくる事。
これを、どれだけ教育関係者は思い描いているのでしょうか。
何より学ぶ事を避けて通っていった人間が、どういう人生の終末を迎えるのか。
その彩りの乏しさに、絶望を抱いている。
まさしくそれこそが、孤独の入り口であると私は考えます。
学び直し、学ぶ事により、人生に彩りをもたらす。
これが人から孤独を遠ざける一歩に、繋がればいいと思います。
人は自ら学ぶ事は少なく、自分以外の万物からこそ学びを得なければならない。
ならば大人の再学習制度こそ、今教育の場で最も必要なのではないか。
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