ヘチマの日々雑々

旅好き・猫好き主婦のブログです

タンザニア旅行記

2012年06月15日 09時43分22秒 | 日記

6月1日夕方ガーナを立ち2日早朝ドバイ。タンザニアへと飛び国内線でキリマンジャロへ。いもともここへ来たんや!その日はインパラホテル。日本から持参のにゅうめん、おいしかった。

3日ホテルで朝食にオムレツ焼いてもらう。なぜか色が白い。黄身があんまり黄色くない。2台の4駆でまずコーヒーショップへ。キリマンジャロといえばコーヒーやろ。コスタリカでは試飲あったでー。みやげに買う。マサイ族のマーケットにいく。鶏は足をくくられ売られているはお野菜は売ってるは、、、楽しいところでした。ネックレスを束にして売りに来る。タランギーレに入りロッジにチェックイン。テント棟とロッジ棟があり私たちはトリプルでロッジ。バイキングの昼食の後待望のサファリ。(バイキングでスリランカで食べたパパダンという餃子の皮をあげたようなものを久しぶりに食べました。)サファリで見えた動物、象、ホワイトバック、インパラ、キリン、マントヒヒ、サバンナモンキー、ディクディク。ロッジではフリーのドリンクで、スナックもフリー。サルサソースがおいしかった。夕日がとてもきれい。ロビーがオープンなスペースにあり風がここちよい。

4日4時過ぎ起床。朝の停電忘れていてトイレや服を着るのも大変。電話もないからモーニングコールはモーニングノック。今朝は熱気球に乗るため早起き。車でスタートの場所へ行くまででもジャッカルやバッファローを見た。気球を膨らませる間草原トイレ。スーッと静かに上昇。上から見るサバンナはまたちがう。気球を温めるバーッという音で動物は走る。映画を見ているみたい。ときどき中島らものゲダラの豚を思い出しながら、、、着陸してシャンパンで乾杯。数名のコックさんが料理してくださる。ウェーターさんもたくさんいてVIP扱い。ツアー代450ドルだけど値打ちある。ホテルへ戻りンゴロンゴロへ。ランチボックスをおみやげやさんで食べる。目的地へ行く道路はスズキムネオ道路でムネオトイレまであった。なんなの!こんなとこまで!今夜のホテルはライノロッジ。ここは寒くてまきストーブと湯たんぽ。ホテルのマサイのショップでピアスやネックレスを買う。頭からかぶるネックレスが入らない。あなたは頭がでかいといわれた。アンクレットもほしかったが足が太いといわれた。続きはまたね。

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ガーナ、タンザニアからかえったよ

2012年06月13日 21時16分15秒 | 日記

長い長いフライトの後やっとついたガーナの首都アクラ。本来ならFFのメンバーがたくさん迎えに出ているのにおじさんがひとり。サミエルさん。

わたしのスーツケース持ち手がとれている。バゲージクレームに行くというと、伸びる取っ手を延ばしハクナマタタ。現地の言葉でIt's OK. No probrem. どんな場面でもいつもハクナマタタ。

着いて初めてステイ先と予定の紙をもらう。サミエルさんが一人でみんなを各家庭に連れて行く。

わたしとFさんはジョセフィーヌさんち。有刺鉄線と大きな門。だっだっぴろいが家具がない。

男の人が一人。荷物を部屋に運び込んでくれる。てっきり召使と思う。奥さんの弟。

ダブルベッドだったのでエキストラ一つ入れてもらう。水は雨水をためたもの。飲み水はミネラルウォーター。トイレのタンクは空。バスタブや洗面所も水道の栓あるけどでない。

話に聞いてはいたからドライシャンプーや体をふくウエットタオルは持参してきました。

朝には娘さんが熱いお湯を部屋に届けてくれました。

ママ、ジョセフィーヌは43才、でかい、ナイスバディ。お料理はとっても上手。アフリカ料理を食べたいという私たちのリクエストにこたえていろいろ作ってくれる。

フーフー(タロイモとバナナのようなプランテーンをふかし餅のようにつく)を食器に入れピリ辛の山羊のスープをかける。

プランテーンを素揚げ、あるいは小さくきり素揚げしてピリ辛味。

トウモロコシの粉をねって練乳、砂糖をくわえたもの。

ケンケというバナナの皮でくるんで発酵させたもの。

ホストがかえってこない人もおりホテルに泊まってるとか。毎日全員をマイクロバス一台で送り迎えだから、慢性的なラッシュアワーで全員そろうのに2時間以上かかる。送りもそう。

連れて行ってくれたのは棺桶ミュージアム。日本でテレビで見たから行きたかった。ミュージアムというほどのものではなかったけれどおもしろかった。その人の職業にちなんだもの。

パイナップルあり魚、トラック。警察官。パイナップルにはいらせてもらう。

奴隷市場にも連れて行ってくれる。狭い暗いじめじめした部屋にたくさんの奴隷が手かせ足かせをつけられDoor of No Returnとかかれたドアからアメリカなどへ連れて行かれた。

野口英世の記念館はよく間違っていくと書かれたほうに連れて行かれた。

フェアウエルでやっと帰ったホストはとってもタカピーな女性、嫌な奴。

私たちいいホストでよかった。タンザニアの話はまたつぎの機会にね。

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