平方録

横浜の坂道

良く晴れていたので横浜イングリッシュガーデンまで自転車で行った。

わが家から片道23~24キロ。
おおむね平坦だが、途中2か所、だらだら続く坂がある。

まず公田から上大岡へ抜ける鎌倉街道の七曲りの坂。
名前からして曲者である。かつては1車線しかなかったが、10数年前に拡幅されて片側2車線になった。おかげで小さなカーブは直線にされてしまったが、切通しのように丘が迫っているところはさすがに昔のまま大きなS字カーブを描いている。
距離は概ね400~500メートル。
夜はとても暗かったが、今は明るい街灯が光っている。
かつてデスク勤務をしていた時代に気候の良い時期、晴れた日には自転車で24~25キロを通ったことがある。勤務を終えて深夜このあたりを通ると、辺りは暗くて、ひんやりした空気が漂っていたものだ。

もう一つは京浜急行の黄金町駅から三春台の関東学院の脇を通り浜松町へ抜ける坂。
この界隈には坂がたくさんあって「植勘坂」「霞坂」「野毛坂」「半僧坊坂」「天神阪」など立派な名前が付いている。
しかし、登っていくこの坂は道幅も広く、かつては市電が走っていた道だが、名前が付いていない。

考えると、横浜の交通量の多い動脈的な道路の坂に名前を見つけるのはなかなか難しい。
通ってきた七曲りの坂にも名前は付いていないようである。「七曲り」というバス停があるだけだ。
名前が付いているのは道幅も狭くて距離の短い坂ばかり。例えて言えば、家の中の階段のように身近な存在のところに名前が付けられるのだろうか。
横浜の街道の坂で名前が付いているのは国道1号の「権太坂」くらいか。この坂は正月の箱根駅伝でしばしば登場する。

さて、この名前の無い立派な坂道は300~400メートルくらいだろうか。登りきったところに「霞橋」が架かっている。
鉄筋コンクリート製のアーチ橋で、坂を登っていくときれいな形をしているのが目に入る。
橋の姿が大きくなってくれば、上り坂もそろそろおしまいである。うらめしい目印でもある。なかなか近づいてくれない時があるのだ。

1928年(昭和3年)の完成で橋としては2代目。設計は内務省復興局とあるから、横浜が壊滅的な被害を受けた1923年の関東大震災で傷ついた初代を架け替えたものだろう。
「かながわの橋100選」にも選ばれ、横浜市認定歴史的建造物にも指定されている。

登りがあれば必ず下りもあるのが世の常である。登りっぱなし、下りっぱなしというのはあり得ない。
ここから一気に坂を下り降りると東海道線と横須賀線、相模鉄道をまたぐ浜松町の陸橋。ここも坂だがたいしたことはない。
この陸橋の上からガーデンが見えるのである。

バラが大好きで自分でも栽培している某市の副市長に「秋バラが見頃ですよ」と声をかけたら「是非」といって見に来てくれた。
約1時間半お付き合いし、来年のカレンダーをプレゼントした。花好きの人というのは良いもんである。“共通言語”という武器があるからコミュニケーションが楽なのである。第一悪人はいない。満足気に帰って行った。

ガーデンを出たのは4時半過ぎだが、秋の日はつるべ落とし。七曲りではとっぷり暮れてしまった。
おまけに、だらだらと書いてしまったようである。


きれいなアーチを描く「霞橋」。頂上付近の勾配はさすがに緩やかである。道路右上の緑は桜。春は見事だ。
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