83歳。悪性リンパ腫だったそうだ。亡くなったのは11月10日。
健さんを有名にしたギャング映画や任侠路線の映画は一本も見ていない。
映画というものに特段興味がなかったのである。
だから、フーテンノの寅も吉永小百合も西部劇や007も映画館で見たことは一度もない。
映画館の思い出はたった二つ。小学生の3、4年生のころ母親に連れられて井上靖の「氷壁」を見て、子ども心に恐ろしくて、夜寝るのが怖かった記憶。そして、中学生のころ一人でヘレンケラーを題材にした「奇跡の人」を見に行って、ラストで涙が止まらなくなってしまったこと。声が漏れそうになるほど涙があふれてしまった。ラストの場面だったので徐々に周囲が明るくなってしまい、涙をぽろぽろこぼしている姿を見られるのが嫌で席を立てず、下を向いて寝た振りをして、次の回が始まって辺りが暗くなるまでじっとしていた。
そんなわけでスターに憧れたこともなければ、映画なら何でも映画館に通って見るというようなことにもならず、むしろ無関心であった。
それでも晩年の「高倉健」には興味があった。
大学時代、学生運動が盛んだったころ、集会やデモで集まった時や飲み会の席では決まって「健さんがさぁ」と感情移入して一人で興奮している奴が必ずいたものである。
そういう熱におかされたような興味の持ち方ではなく、一世を風靡した人がどのように年輪を重ね、老いていくのかということに些かの関心があった。それと健さんに付きまとっている「不器用」とか「孤高」とか「人情味」とかの若干のイメージ。
娘がアルバイトをしていた東京・青山の根津美術館の近くにあった隠れ家のようなレストランに現れる素顔の健さんの話や、テレビのドキュメンタリーが映す健さんの姿を見て、饒舌ではないけれど周囲に見せる気持ちの優しさや、役に成りきろうと一途に打ち込む姿勢に、あぁそうなんだ、こういう水面下の水かきが当たり前のように、自然に出てきての健さんなのか、と感心していた。
浮名を流すわけでもなく、文化勲章に輝いた人は、それこそ代名詞のごとく「不器用に」「ストイックに」生きたことがうかがえる。
この「不器用」と「ストイック」という単語には魅力を感じていて、出来ればそう生きていきたいと、常々思っている。
寂しくなるなぁ。ご冥福をお祈りしよう。
2014.11.18 近所の丘から見た富士山。左端は江ノ島と相模湾
傾いた日差しを浴びる今秋最後の「空蝉」の一輪。昨日開ききった
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