花を看(みる)に 須(すべ)からく 看花(かんか)の眼(げん)を 具(ぐ)すべし
昨日の朝の円覚寺の日曜説教座禅会でふ~んと思ったのが、この7文字。
禅寺のお坊さんの説教に出てくるのだからと、岩波文庫の「禅林句集」を手繰ってみたのだが、載っていない。
7文字の項で「看」がつくのは「看時不見暗昏昏」と「看盡湘南清絶地」の2つだけである。
前者は経典の「碧巌録」と出典が明記されているが、後者にはない。
この語句はどうやら大磯の鴫立庵に建つ碑に刻まれているもので、庵の創設者の、中国湖南省湘南出身者を祖先に持つ崇雪という小田原の人が刻んだものという。
祖先と風光明媚な遠い故郷と同じ景色がここにある、と言っている。それを碑に刻み、のちに相模湾に面したこのあたりが湘南と呼ばれるようになるきっかけとなった語句である。
「禅林句集」の編者は足立大進前管長で、実質を切り盛りしたのは当時の僧堂師家であった横田南嶺管長である。
禅の修行に使われる語句集に「湘南…」が掲載されているあたりは、足立老師と横田老師のしゃれではあるまいか。
話はのっけから脱線してしまった。
「看花…」に話を戻す。説教した和尚は「ここから無常を酌み取ってほしい」という。
例に挙げたのは鴨長明の方丈記の一節で「行く河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例なし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」。
和尚は触れなかったが、同じ序の後段には「その主とすみかと無常をあらそうさま、いはば朝顔の露にことならず、或はつゆ落ちて花残れり。のこるといえども朝日に枯れぬ。或は花しぼみてつゆなほ消えず。きえずといへども夕を待つことなし」というのもある。
どちらも物事は移ろうもので、けっして常ではありえない、ということを言っている。
この語句を持ち出した和尚は「美しい花も必ず散る。咲く前にはつぼみが出来、次第次第に膨らんでゆく。散る時はどうか。散ってしまった後は…。同じ花にも前と後とがあり、その前と後もある。その移ろう様をしっかり見つめる目を持つ。即ち、無常というものの摂理を汲み取れる心を備えた人でありたい、というのがこの語句の含意である」と概ねこんな風な説明であった。
ハナをみるにスベからくカンカのゲンをグすべし…
ちょっとリズムが気に入ったのである。
雨上がりの朝の円覚寺=2015.2.22
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