敗戦から70年。新しく誕生した憲法のもとで育んできた平和原則ともいうべき事柄が、国会で十分な議論も行われないまま、国民の理解を十分に得ようともされないまま次々と変えられている。
しかも、多くは閣議決定というお手軽な意思決定に拠っている。
加えて、政府開発援助(ODA)の基本方針もまた閣議決定という形で改められ、「軍隊が行う非軍事的な活動への支援を解禁する」ことが決まった。
災害救助や軍の病院の改修、海上警備のための巡視艇の供与などに限ると説明しているが、どんなものだろう。
いくら「非軍事」と強調しても軍隊が行う活動に、国民の税金から絞り出すODA費用を使うこと自体に、底意を感じないわけにいかない。
発展途上の国々は貧しい。そういう貧しさにつけ込むように、貧困や差別、暴力が支配するようになり、人びとは安心して暮らせる場を失っていく。そうした状況はしばしば仲間同士で争う武力衝突を引き起こしたり、統治の乱れを加速して行く。いったん乱れたものを元に戻すのは容易ではない。そうしたところでは悪循環となって続いてゆく。
そういう環境下で一番の被害者は子どもや女性、年寄りである。
こうした世界各地に存在する貧しい国々を手助けしようと始まったのがODAであり、生活のインフラ整備や学校建設やら教科書の配布やら教育環境の改善などに役立てられてきた。
こうした行動の背景には「複雑な物事を解決していく手段として、武力での解決を求めるのではなく、井戸を掘って水場を確保したり、教育の場を用意したりすることこそが重要である」という認識があった。
頭に銃弾を浴びながら奇跡的に助かったパキスタンのマララ・ユスフザイさんの国連での演説「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただひとつの解決策です。エデュケーション ファースト」は、まさにそのことを指している。
幼い子供たちの教育はもちろん、青年たちへの、生活に役立てるための農業技術や漁業の方法を学んでもらうための手助けである。
教育が果実を結ぶのには時間がかかる。しかし、一番確実で、そこから枝葉が伸びてゆく可能性が一番高い。急がば回れ、なのである。そうして教え込まれた事柄、精神、その先生を人はいつまでも忘れない。
「少年よ大志を抱け」のクラークさんを知らない日本人がいるだろうか。クラークさん以外に、発展途上だった明治時代にどれだけ多くの人々に教えられ、支えられてきたことか。
治安を守るという警察的な役割も確かに大切だろう。しかし、それはできるところに担ってもらえば良いではないか。日本は胸を張って、明治期に受けた恩を同じように教育という形で返していけばいいんである。
発展途上の国々の人たちは、日本の武力になんぞ期待しているものか。
日本は独立国なんだ。自分の道と云うものがあってもいいではないか。北風と太陽の寓話もある。
第一、その道の方が尊敬されるぜ。
最初に挙げた平和原則の撤廃は「積極的平和主義」なる呪文に由来することは言うまでもない。
この呪文が平和を脅かしかねないことの矛盾。パラドクス。
「国益」なんぞと実利ばかりが前に出てきて、「志」というものが消滅してしまったんである。
こういう施策を推し進めて恥じない政権の支持率が落ちて来ないのも、この国民にしてこの政権あり、なのかもしれない。
今冬一番冷えた日の相模湾=茅ヶ崎漁港の堤防から
雪国の人からは笑われるだろうが、丹沢の峰々が珍しく雪化粧して白く輝いている。右端が大山
富士山の手前の丘陵、その一番右端の山が東海道五十三次の「平塚」で描かれている山。地元では高麗山という。
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