デジャヴ。いわゆる既視感てやつで、確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでだったか思い出せない、というやつである。
私の野島崎灯台の場合は、一度も行ったことがないのに夢に出てきて、白い波が立っている海を背景にして土産物屋や食堂などが建ち並んでいる奥に、白くて背の高い灯台がひときわ目立って、すっくとそびえている光景である。
いつ見た夢か、そこはまったく覚えていないが、夢に出てきた景色が一度も行ったことのない野島崎灯台だということだけはよく覚えているのである。
フロイトは「既にみた夢のことである」と既視感を説明しているが、ならばそれを確かめに行こうではないか、と思ったのだ。
「さあ、来たぞ。夢の光景とどう違うんだ ? え、おい ! 」という気分である。
海沿いの道をくねって進むうち、カーブを曲がると突如、はるか遠くの波打ち際にそびえている灯台が見え、既に立ち寄ってきた洲の埼灯台が小高い丘の上から東京湾を見下ろして建っている光景と見比べてしまい、「あれ、野島崎灯台は水平線近くに建っているんだ」と、既視感の事はきれいに忘れてしまい、妙な感心をしてしまったものである。
不意を突かれた格好なのである。
で、近づいて行って見ても、どこかで見たような光景だなぁ、などという思いはちっとも湧いてこない。
そうだそうだ ! まさにこの光景だ ! という感覚を味わいたかったのに、そういう感覚はちっとも現れて来ない。逆に、夢に見た光景のディテールはこんな風になっていたんだ、と見落としたものやぼんやりしていたものを確かめる気分になってしまった。
実験は成功したとはとても言い難い。
やはり、無意識状態にいなくてはデジャヴという感覚は現れないもののようである。
我ながら、つまらない結果にちょっとがっかりである。
そんなことより、ささやかではあるが、えっ、こんなこともあるんだ ! と思わざるを得ないような事に出くわした。
当初の計画では野島崎経由で房総半島の先端部分約60キロを海沿いに自転車で走り、内房線が走っているところまで出て、どこかの駅前に自転車を置いて列車で館山市のホテルに戻り、車で自転車をピックアップして帰ろうと思っていたのだ。
しかし、朝起きて見れば風は冷たく、どんより曇っていて、とても自転車日和とは言い難い。
そこで一計を案じ、自転車を車に積んだまま景色の良いところまで行って、そこで自転車に乗り換えて、また車まで戻る事を繰り返せばいい、と計画を変えたのである。
都合のよいことに、洲の埼灯台の近くに公衆トイレがあり、駐車場がついていて、ここなら2、3時間止めておいても大丈夫だろうと思ったのである。
横浜にもある洲崎神社とどういう関係か知らないが、途中、同じ名前の148段の急な階段を持つ神社にお参りし、8キロほど走ったところで、太平洋の荒波に直接洗われる平砂浦海岸という砂浜のきれいな海岸に降りてみた。リゾートホテルが2軒ほどある場所である。
何気なくバスの時刻表を見て驚いた。
JRバスの停留所だが、何と1日2本しかない。そのうちの1本が50分後にある !
しかも何と、行き先は「東京駅」である。
ここまでの道すがら、強い北東の風が吹き付ける中を東に向けて走ってきたものだから、ほぼ正面から風を受け続け、時々日は差すものの、正直言って自転車日和には程遠いなぁと嫌気がさしてきたところなのである。
停留所に自転車を置いて、洲の崎灯台までバスで戻ろう。しかし、ここで50分も待つのは能がない。しばらく先に進んで時間をつぶそう、そう考えたのである。
で、到着したのが南房パラダイスという道の駅。
そこには既にJRバスの姿が。どうやら始発駅らしいのである。
1日にたった2本しか走っていないバスである。やれやれ、こんなこともあるんだなぁ…
洲の埼灯台から見た東京湾口。対岸に久里浜の火力発電所の煙突が見える。
洲崎神社の本殿前の急階段の上から見える東京湾
広々した砂浜の平砂浦海岸とリゾートホテル前のバス停
野島崎灯台。デジャヴの灯台は反対側から見た光景
野島崎は房総半島の最南端にあり、「絶景 朝日と夕陽の見える岬」という標柱とベンチがひとつ置かれている。蕪村がここに座ると「太平洋 月は東に 日は西に」と詠むのだろうか
帰りのフェリーは珍しく汽笛をボーボー鳴らし、行き交う船との衝突を避けるために、真っ直ぐに引くはずの白い航跡が左に右に急な弧を描いて船が傾くほどであった
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事