寝室の西側に3つ並んでいる縦長の細い窓からベッドの上に月の光が射し込んでいる。
春分の日が近づいてきているとはいえ、辺りはまだ真っ暗な午前4時ころのことなのだが、月明かりに照らされながらベッドから離れるというのは随分と久しぶりの気がする。
しかも、土曜、日曜と曇天と雨に閉じ込められ、時節柄もあって家に閉じこもっている時間が長くなっているだけに「月が出ているということは…」と、久しぶりの青い空を期待し、ウグイスの声でも聞きに行くかと、ほっとした気分が沸き起こって来るのを感じる。
しかし、期待して開いた天気予報サイトによれば、晴れているのは午前7時台までで、それ以降は曇りマークが並び、明日はまた雨の予報になっている。
こういうのをぬか喜びと言うのであって、月光に幻惑されているのだとすれば踏んだり蹴ったりではないか。
つくづくうっとおしい春であることよ。
大阪で春場所が始まった。
最近の相撲にはあまり魅力を感じないが、土俵の周りに応援の人々がいないところで力士たちはどんな表情・態度で相撲を取るのかという点では興味があった。
テレビ中継でたまたま仕切りからちゃんと見たのは炎鵬と御嶽海の人気力士同士の一番だったが、その感想…
そもそも、観客が一人もいない広々したスペースの真ん中にポツンと浮かぶ土俵の姿がまず、間が抜けている。
その土俵下に羽織はかまをきちんと着込んだ審判がこれまたポツンと座っているのもまた取ってつけたようで、どこか笑える光景である。
そして取り組みを待つ控え力士たちも置物の人形のようで、どこか現実感に乏しい。
静かな静かな空間にぽつねんと座っているだけで気力が増していくものなんだろうか、「よし、行くぞ ! 」という戦闘モードに気持ちを持っていくのに苦労してるんじゃないか…
で、炎鵬ー御嶽海戦。
幕内で最も軽量・小兵の炎鵬について言えば、あの力士は力で真っ向勝負するのではなく、相手の胸懐にもぐりこんで食らいつき、相手が動きづらくなる腰にしがみついたり、いなしたり、透かしたり、果ては足を取ったり手を引っ張ったりの変幻自在の動きで翻弄して屈強力士を打ち負かすのを真骨頂にしている。
しかし、昨日の一番を見る限り、自分の運動能力と作戦だけで勝ちを得ているという訳でもなく、そのうちの3割から4割ほどは観客の「わぁ~」だ「きゃぁ~」だ言う悲鳴や声援が小兵側には力になって一層動きを良くさせ、逆に怪力巨躯の相手力士には、必要以上に慌てさせられドタバタさせられ、挙句に足をもつらせて無様な姿をさらすという作用となっているのだということが良く分かった。
ひょとすると3から4割もの力をそがれた小兵力士は今場所は全敗してしまうか、勝てたとしても4~5番がいいところなんじゃないか ?
人気力士の動向にも注目だね。枕を並べて負け越したり…
逆にけいこ場ではめっぽう強いと言われるようなタイプの力士は静かな環境の中で客の目や歓声に惑わされることなく、案外活躍できるかもしれない。
心理学を学んでいる学生にはいい教材になるんじゃないの。
とにかく、いつも背中に浴びている歓声が無いところで普段通りやれって言うのだから、やらされる方は勝手が違って気の毒だ。
糠に釘、豆腐にかすがい、石に灸…
「ただいまの勝負、決まり手は『暖簾に腕押し(出し)』でコロナ山の勝ちぃ~」
「相撲の座席って紫色だったのね」とは妻の感想
もう少しどぎつい色だったらテレビ局も困ったろうな