振り返ってみてどうなるものでもないし、趣味ではないが、客観的な事実は事実として、歴史の1ページとなって残されて行くものなのである。
わが身辺に限れば、その客観的で歴史的な事実として特筆できるものが3つある。
すなわち姫の小学校入学に加え、孫息子と孫娘が1人ずつ誕生したことである。
新たな肉親の誕生はめでたくもあり、とても良い年であったというべきだろう。
他方、「戦争法」などという憲法無視の忌まわしい法律が、あれよあれよという間に成立してしまったことは返す返すも腹の立つことで、こんなことが白昼堂々とまかり通る国にいつからなってしまったのかと、呆然とする思いもある。
孫達がこの法律によって苦しまされることがないよう願うばかりだが、黙って指をくわえて見ていたのでは、その恐れはいずれ出てきてしまうに違いない。
そういう意味では、日本の歴史にとって「汚点」とも言うべき、最悪の年であったともいえるのである。
振り返ってみて良い年だったと総括できる半面で、何かもやもやした気分が残るのは、このためである。
この法律が破棄されるような展開になるのかどうか。重大な関心を持ち続けたいと思う。
さて、昨日の日曜日は円覚寺の今年最後の坐禅会だった。
この日は朝の外気温が2、3度しかなく、7時半に自転車で家を出て20分余り漕いで行ったのだが、最初は北に向かって漕いでいくものだから正面から風を受け、体感する寒さは相当なものである。
おまけに小袋谷あたりで東に折れると、今度は上ったばかりの太陽の光を真正面から受けるので目が眩み、とても漕ぎずらい。
裸足になって歩く大方丈の床板は氷のように冷たく、坐禅を組み始めれば太ももや腰の辺りからしんしんと寒さが伝わってくる。
一応2年目なのでカイロを腹と腰に貼って行ったのだが、貼ったところ以外は寒いんである。
寒さは年明けからが本番で、今から音を上げるわけにはいかないが、先が思いやられるのだ。
奇数日曜日は横田南嶺老師が禅宗の古い教えをまとめた書物を解説してくれるのを、坐禅を組みながらじっと聞いているのである。
春ころから「伝心法要」の講義が続いている。
臨済宗の開祖である臨済義玄の師である黄檗希運という中国唐代の禅僧の教え、語録をまとめた古典だという。
人は仏性を持って生まれてきており、その仏性は心の中にとどまらず、広く大宇宙と同じく果てしなく広がっていて、私たちの目の前にあるにもかかわらず、そのことに気付く人は極めて稀である。この目の前にある仏性に気付かなければならない。
1時間の話を一言で要約すると以上のような事になるのだろう。横田老師は直接口にしなかったが、禅宗でいうところの「直指人心 見性成仏」の事と思われる。
1年半円覚寺に通って横田老師の話に耳を傾けてきたが、詰まるところ「この仏性に気付き、仏の心になることがすべてである」と繰り返し聞かされてきたように思えるのである。
老師の説明は上手で、うん、その通りだなと、その場では納得できるのだが、悲しいかな、実際にその通り出来るようなら坐禅に通ったりはしないのである。
今冬有数の寒さだったと思うが、初めて坐禅をしにやってきた人たち20人近くを含め、師走のどん詰まりに100人近い人が詰めかけたのは驚きである。
1週間前まで色づいていた木々の葉もだいぶ散って、さすがに境内は冬景色に変わりつつある。
居士林前のモミジはすっかり散ってしまって裸木である
仏殿の大屋根を隠していたイチョウの葉もだいぶ少なくなった
冬至間近の弱い日を浴びて鈍く光る仏殿の大屋根
午前8時の開門を待つ参禅者の行列が出来ていた
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