東京の日の出の時刻は6:48、日没は16:31だから太陽が顔をのぞかせているのは9時間43分に過ぎない。
ちなみに6月21日の夏至のそれは4:28と18:58だから、日中の長さは何と14時間30分もある。
その差は実に4時間47分である。
家の中でじっとしているより、外に出て飛び跳ねているほうがよっぽど性に合っている身としては、夜がなかなか開けず、逆にすぐ暮れてしまう季節ほどつらいも季節は無い。
まぁ、身体を動かした後に ♪今日のぉ~仕事はつらかったぁ~ と口ずさみながら縄のれんをくぐるには、日が高いよりも薄暗くなってからの方が気分が出るというものだが、メリットはその程度である。
寒いし気分も滅入る。
そんなわけだから「一陽来福」という言葉がことのほか気に入っているのだ。
光り輝く暖かい日差しに包まれ、しかも幸運も一緒にやってくる、という感じがこの言葉には良く表されているのである。
まさに冬至を過ぎれば日足は着実に伸びていく。
その行きつく先は百花繚乱の春爛漫であり、烈日の降り注ぐ夏である。
一陽来福を信じ、今は希望を抱いて、じっと耐えるのである。
不思議なことに、そうした気分でいると、これから襲ってくる寒さを毛嫌いする気にはなれない。むしろ「うん、そうかそうか、抵抗したいんだな。駄々をこねたいんだな」と、愛おしさ? さえ感じるくらいなのである。
バラのせん定作業をさぼって年賀状作りに励んだ。
思い立ってウン十年ぶりに彫刻刀を握り、しかも版木6枚の7色刷りにしたものだから、後悔先に立たずとはこのことで、刷るだけで6倍の労力を注ぎこまなければならない羽目に陥ったのである。
この忙しい時期にとぼやいても後の祭りである。
出来栄えも取りたてて満足のいくものではなく、その意味で今後一層の精進が必要である。
労働市場から撤退した際、行政が運営しているカルチャースクールの講座を見つけて、よっぽど入ってみようかと考えたのだが、今すぐにというほどのことでもあるまいと、ひとまず見送ったのである。
同好の士に混じって切磋琢磨するという選択肢があることは分かるが、他にやりたいこともたくさんあるのだ。
とりあえず、関連する書籍を2、3冊買ってきて独学中の身である。
ある日突如開花して、世間をあっと言わせるかもしれない。
版画と言えば棟方志功である。近所に棟方志功記念館があって季節ごとの展示替えを楽しみにしていたのだが、今は閉館してしまい、作品は青森に里帰りしてしまった。
棟方の版画に描かれた女性はみな縄文の女性なのである。土臭いけれどもおおらか、そして明るく懐かしい。
棟方自身、意識していたかどうかは知らない。知らないが、棟方が縄文人の子孫だったからこそ描けた女性たちなのである。
去年、千葉の美術館まで出かけて行って見てきた河瀬巴水という版画家の日本の景色にも心を動かされた。
北斎やら広重の絵も版画と言う技法によって味わいが増しているわけで、魅力は尽きないのである。
版画というものは彫るのは楽しいが、大量に刷るとなると考えものである。
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