平方録

豆台風梅雨前線寄り切れず

豆台風が梅雨特有の前線やら気圧配置やらを蹴散らしてくれていたら良かったのだが、いたずらに刺激するだけで終わってしまったから、かえって厄介なことになっているようである。

山陰の島根では弱まったようだが、九州北部では大雨がいつ果てることもなく降り続いていて、「特別警報」などという新しくできた気象の警戒警報が出されっぱなしのありさまで、河川の氾濫や崖崩れ、地滑りにおびえ、大規模な避難が始まっている。
テレビのニュースなどでアナウンサーが沈痛な面持ちで「直ちに命を守る行動をとってください!」と叫んでいるのを見ると、そのただならない雰囲気というものは十分に伝わってくるのだが、実際に身につまされてあのアナウンサーの呼びかけを聞いている人の気持ちというものはどんなものなのか、ちょっと想像しにくい。
ボクが実際にそれを聞く側に回ったとしたら、どういう反応を示すのだろう。

それにはいろいろと条件が違ってくるのだろうが、年齢によっても違うだろうし、孤独でいる場合と、だれか一緒の場合とでも違ってくるだろう。
体調がすぐれずにいるときは? 足でも腰でも痛くて歩くのが億劫な時は? 辺りが真っ暗だったら? ……
おそらく避難の呼びかけというものは、ただ出せばいいというものではないはずであある。
あるいは、助かるだけの体力のある人だけ逃げなさい、という避難指示・命令というものもあるのかもしれない。
背に腹は代えられないってやつで、そんなことになるとしたら恐ろしいことで、クワバラクワバラだねぇ。

まぁ、最善の方策は早めの避難行動ってことだろう。それを促すのは行政の役目で、地元の古老の判断などと言うものも大いに役立つははずだが、コミュニティーが崩壊しつつある日本では、そんなものに頼ろうとすること自体、ないものねだりなのかもしれない。
紀州の海辺の町で、かつて大津波の襲来を直感した村長(むらおさ)が収穫して干しておいた稲わらに次々と火を放ち、それを消し止めようとする村人が総出で火を追いながらで高台へ高台へと駆け上り、村人の命を救ったという「稲わらの火」という有名な言い伝えが残っている。
稲わらに火を放つ役目を行政が担っているという事であれば、日ごろからそういう判断を磨くのもまた重要な仕事なのだが、3、4年で次々に担当者を交代させていくような人事システムを取る限り、それもまたあてに出来そうにないのも現実である。

かくして、自分の身は自分で守るしかないのだという、何とも情けない結論に行きつくのである。
これが日本社会の現実であり、地域コミュニティーの実相なのである。せいぜい向こう3軒両隣くらいと声を掛け合うしかなさそうである。

時に話は変わるが、成立したばかりの共謀罪の密告制度に得意顔で協力・加担する輩はこういう時、どんな風に振る舞うんだろうネ。

昨日はわが句会の定例会の日。豆助の通った後は台風一過とは言い難く、まだら模様の青空だったが暑さだけは一人前と言ってよかった。
ボクはお気に入りのアロハに短パン姿で、足元はつい最近買ったばかりのKEENのサンダル履きなので、とても涼しく、仲間から褒められたりうらやましがられたりした。こういう時の表情は有頂天ではだめで、ちょっとシャイ気味でなければいけないのだ。

シーサイドラインに乗り、金沢の海の公園と柴漁港周辺で吟行した。
ちょうど昼時分だったが、漁師たちはのんびりしたもので、漁はなかったものと見える。それでもいけすの中には大アナゴがいて、ボクは大いにヨダレを垂らしたのだが、結局、旬の脂の滴るアナゴの白焼きにはありつけなかったのだ。
獲れたばかりのブランドアナゴはあらかた築地に運ばれてしまうんだそうだが、シャコにもお目にかかれず、何のための柴漁港界隈なのかと、食い物の恨みは恐ろしいんである。やい、幹事!


風鈴をちぎらんばかりに鳴ることよ

風鈴のそよとも揺れぬ暑さかな

夏至の夜はピロンポロンとカンパネラ

豆台風梅雨前線寄り切れず

「八景」の梅雨切り裂くコースター  

以上、花葯作









金沢・海の公園。対岸の島は水族館や遊園施設のある八景島。アナゴが食えないと分かって、がっかりして柴漁港を撮り忘れた




会処の近くに真言宗の宝蔵院があった。境内のソテツの花が見事


金沢に向かう途中に見えた富士山
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