平方録

「ねぇ、お兄さん、寄ってかない」

思い立って東京駅まで行く。
八重洲側にある品ぞろえでは有数の本屋で手にとって本を探すのが目的である。

書名がはっきり分かっているものなどは、インターネットで注文すれば遅くても2、3日後には間違いなく手元に届く時代である。
しかし、便利な一方で本屋の書棚の間をうろついて、思わぬ本に出会う喜びを奪ってしまう。
本屋の楽しみというのは、買う意思があまりなくても、あれこれと書棚から抜き取って装丁を眺めたり、中をペラペラとめくったりして、気を引かれれば数ページを流し読みして、どんなことが書かれているのか、文体の好悪なども含めて、覗く楽しみと言ってよい。

そんなことを繰り返しながら書棚の間を遊弋していると、思わぬ本に出会ったりするのである。
遊弋している間もいろいろである。
書棚の中から、本の方から「ねえ、お兄さん」とばかりに声がかかる場合がある。
夕方、繁華街の飲食店などの客引き同様、誘いの声がかかるのである。
無視する場合もあるし、暖簾をくぐってみることもしばしばである。
ペラペラとめくってみれば、なんとなく相性というか、雰囲気が分かり、気に入らなければさっさと店を出ればよい。ページを閉じて別の本を開けばいいんである。

あれは不思議なもので、本当に本の方から声をかけてくるのである。
呼び止められて思いがけない出会いになったりした時の嬉しさは、何か自分ひとり、他人には気付かれずに大発見をしたような、探検隊の隊長になったらかくのごとき気分かと思わせるような、晴れがましいような、胸の高まりを感じさせてくれる。
インターネットで注文ばかりしていたのでは、こうした気分は味わえない。
言ってみれば、ニュースをインターネットで探すのか、新聞を開いてみるかの差にも似ているように思う。

ネットのニュースサイトと新聞の違いは、ネットの場合はしばしばピンポイントのアクセスで、「目指すものだけ」でおしまいである。
これに対して、新聞のページを手繰って行く行為そのものが本屋で棚の間を遊弋するのと同じで、さして興味も湧かないようなニュースが、見出しの大きさや表現によって、あるいはページの中の位置の具合で、「ねえ、お兄さん寄って行かない?」と、こちらに声をかけてくることである。
そういうところに新たな発見があり、「へぇ~、そうだったの。そんなことがあったの」と視野を広げる結果にもつながって行くのである。
小さな記事でも目の端っこに引っ掛かり、気になって覗いてみたら、何かの端緒だったり、兆候だったり…
言いかえると、寄り道をしながらぶらぶら歩きを楽しみ、そこで新たな経験や大事なものを発見したりする楽しみなんである。

しかし、最近はそうした楽しみに浸る人が減っているようである。
街から本屋が消え、新聞の部数は減り続けている。
もったいないよなぁ。あんな楽しいことをやらないなんて。というか、知らないんだろうね。
お気の毒さま。

分厚いのを2冊買って、アメ横にも回ってきた。
午後3時過ぎなのに、焼鳥屋や何やら、酒を出す店は外のテーブルに大勢の客がいて、楽しそうにビールやら日本酒を飲んでいる。
一人でもいいから、席について飲みながら通る人々を観察すれば良かった。ちょっとばかり後悔している。




いつ行っても人であふれるアメ横


わが家の近くの公園の10数本の八重桜が満開になった
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