久しぶりにバスに乗った。
こんなことを書くと怪訝な顔をされるかもしれないが、毎日が日曜日の身には、そうそう出掛ける用事や場所も無いのである。
わけてもコロ公が騒ぎ始めると不要不急の外出が禁じられるようになったから、ますますバスは必要がなくなってしまった。
第一、この間は健康管理を考えて自転車でのパトロールを主眼にしてきたから、たとえ繁華街に用事が出来ても自転車で行くかマイカーで行けばその方がむしろ便利だったのである。
だからの1年8か月ぶりということになる。
このバス路線は幹線道路から離れ、大型バスが走れないような狭い道を得意とする座席が11隻しかないミニバスで、隣町の駅前繁華街に直結していることもあって重宝していた。
アニメ映画「となりのトトロ」に出てくる「猫バス」のイメージがあって、わが家ではそう呼んでいたほどだ。
しかし1年8か月という月日は猫バスの姿を変えさせるに十分な時間だったようでもある。
家に縛り付けられ、結果としてバス離れを起こしたのはボク一人ではなかったと見え、1年経っか経たないころに日中でも15分から20分に1本あったバスが30分に1本に減便されてしまったのだ。
しかし、差し迫ってバスを使う必要も無かったので、いざ猫バスで出掛けようとするとわが家に残っている時刻表では役に立たずバスは出たばかり。仕方なく県道まで歩いて幹線道路の大型バスで繁華街に向かった。
そして夕方、帰る時に乗った今度こその猫バスはびっくりするほど混みあっていて、感染が爆発しているころだったら、おぞましくてとても乗れたものではないだろうなと思いつつ、皆マスクをしてジッと静かに呼吸しているだけなので大丈夫だろうと思って座席に深く座って目をつぶり、久しぶりの猫バスの揺れを実感していた。
東京に次いで感染者が多かった神奈川もようやく二ケタ台の、それも少ない数字が並ぶ日々で落ち着きを取り戻しているのは何よりで、ワクチン接種率が国民の7割を超えたというから、しばらくはこうした小康状態は続くのだろう。
これで飲み薬の特効薬が開発されればコロ公も単なる風邪と同じになる。
猫バスが日常の足に戻る日々も近づいてこようと言うものである。
後残された「課題」の一つが暮れなずむ路地に漂う焼き鳥の煙をかき分けながら、赤提灯の脇に下がる縄のれんをかき分けて焼き鳥屋に入り、油で黒光りしているカウンターの前に座って日本酒か焼酎を飲りながら香ばしく焼けた焼き鳥をかじる事。
ところが、ボク以外のブログの世界では何事も無いように外食が日常生活の一部になっていたり、挙句に泊りがけの旅行記までが投稿されるのを読むたびに、どこの世界の話かと思うが、それもまた日本の現実なのを知ると、なんだか自分が浦島太郎になったような気分にもなる。
「自己の危険負担において自己責任でやるんだからいいだろう」と言う考え方は公衆衛生と言う分野では通りにくいと思うんだけれど…
感染爆発の地域に住む人間と、そうでない地域に暮らす人との温度差、意識の差と言えばそれまでだが、やはり世の中というのはさまざまである。
すべてを強制的に同じ色に塗り込めてしまうのも、かえって恐ろしいが、パンデミックの下では最低限の縛りは我慢して尊重するのが本当の意味の危険に対する自己負担ということなんじゃないのかしらん。
久しぶりの猫バスに乗って考えさせられた。
見出し写真も含めて北鎌倉・浄智寺の書院とシュウメイギク