そもそも命を狙われるきっかけから凄い。
通っていた学校がタリバーンによって閉鎖されたことに落胆していたところ、タリバーンに抗議するテレビ番組があることを知り、準備をしていたジャーナリストのところに出かけて行って「おじさん、私をテレビに出してください」と頼み込んだそうだ。
学校が突然閉鎖された事が悲しくてたまらなかったんだと思う。その悲しみと怒りが行動にかり出した。
その番組で「学校を閉鎖した人は早く元に戻してください。私たちが学校に行けるようにしてください」と訴えかけたそうだ。
これがタリバーンに睨まれ、銃撃を受けるきっかけになる。
頭に銃弾を浴びて生き延びたことも驚きだが、これにくじけないで発言を続けているのにも驚き、感心もする。
「私には教育を受ける権利がある。遊んだり、歌ったり、市場にいったり、自由に発言したりする権利がある」
「1人の子ども、1人の先生、1冊の本、1本のペンが世界を変える。教育がすべてを解決する」
平易な言葉で語る内容は人類にとって普遍的な重さを感じさせる。言ってみれば魂の叫び声のようなものか。邪念の入り込む余地のない心の奥底から湧き上がってくる素直な感情が、そのまま言葉になっているとしか思えない。
こういう感情や考えを抑え込んでしまったり屈伏させる事が出来るものだろうか、と考えてしまう。仮に抑え込んだり屈伏させることができないなら、屈伏させようとする側が諦めるまで、どのような起伏があるのだろう、とも。
十分な権利を与えてもらえていない子どもたちが世界中にはいる。その子どもたちとマララの闘い。
そういう闘いが地球の一角に存在する。
我が家で開いた「ノリコ」という名のバラ
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