昨日は納めの句会を催した後、河岸を変えて忘年会を開いた。
かつて句会の後はほぼ必ず反省会兼宴会になったものだが、コロナ禍では反省会どころか句会そのものの開催さえ危ぶまれ、やむなく中断せざるを得ない時期が続いたのだから、「コロナ後」が軌道に乗り、日常を取り戻せたことがしみじみ嬉しい。
しかも、病気で長期間療養している同人を除き、それ以外のメンバー9人全員が久しぶりに顔をそろえたことも、この嬉しさに拍車をかけた。
この間、2人の同人が最も身近な肉親を相次いで失うなどの不幸も続いたが、その悲しみを乗り越え、孤独な中で良句を読み続けている姿には感じさせられるものがある。
昨日もいくつかの句に、悲しみの滲むものがあった。
元より「悲しみ」というテーマは文学作品における大きな嶺の一つだから、わが句会に登場してくるのも当然だが、寂しさや悲しみの心根を正直に吐露している本人が目の前にいるという現実には、作品を離れて生々しい切なさというものを突き付けられているようで、ドキリとするとともに、言葉がなかなか見つからず、何となくうろたえてしまうのも事実である。
平均年齢が古希を越えたわが同人たちの作風に「老いの風景」とも言うべきものが、影を差し始めたのだと受け止めている。
新年は来月下旬に決めた「初句会」から活動をスタートさせる。
「よいお年を」「来年もよろしく」「じゃぁ初句会で会おう」と口々に言い合い、忘年会をお開きにした。
わが提出句(兼題は「大根」)は次の通り
20℃を軽々越えて冬至かな
しぐるるや名残のバラに玉飾り
暖かき風の吹くなり師走イルミ
眠る山生きとし生ける鼓動満つ
海分かつ大根畑の入り日かな
近所の池と森の公園の冬ざれの景色