横浜の蕎麦屋の二階で開いた忘年句会で使わせてもらった部屋。その扉を開けて室内に入り、何気なく扉の方を振り返ると扉の真上に横長の変形のキャンバスに描かれた1枚の絵が掲げられていて、思わず「あぁっ‼ 」と叫びかけた。
富士山から雪が消えるころの湘南海岸の風景で、遠景に箱根連山と富士山を配し、広くて印象的な白い砂浜とこれまた広くて青く抜けるような空との間に群青色の深みを湛えた海が横たわる。画面左手前に配置した砂浜の上に引き上げられた漁師の小舟が画面を引き締めている。
展覧会に出品されたこの絵を見た途端、あぁ、これはボクの世界だな、ボクの大好きな世界を先に描かれてしまったな、と思ったものだ。
実はボクはしょっちゅうこの景色を見て暮らしてきていたのだ。
休みの日などに自転車でパトロールに出る場合、この景色を見るために出かけることもあったし、目的地が違っていてもこの景色の中を抜けてペダルを漕いでいったものである。
大学生の頃は、学校に行くのが嫌な時や駅のホームで上り電車を待つ間に下り電車が入ってきたりすると、フラフラと乗り込んでしまってこの景色に浸りに行ったことも1度や2度ではない。
ここに広がる世界は青と白の2色で足りる。
この絵には描かれていないが、これに延々と伸びる松林の緑を加えてもわずか3色の世界なのだ。
複雑怪奇で、汚らしい色合いが混じり込む社会とは別の空間が広がっているのである。
人には時としてこうした清澄な世界に浸り、時にはザブザブと音を立て、またある時は静かに手もみするように心を洗い清める必要があるのだ。
この絵を見せられた時、あぁ、見ているところは一緒だったんだなと思ったものだ。
それが60歳を機に傍からは一目も二目も置かれる要職をあっさり捨てて、さっさと隠居してしまったのである。
辞めて何をするのかと聞くと「釣りしたり絵を描いたり、陶芸にも手を染めたい。これまではまともにできなかったから」と何の迷いも見せなかった。
それからわずか3、4年しか経っていない日曜日の朝、ボクのところに奥さんから電話がかかってきたのだ。
最初は話が良く呑み込めなかったのだが、尋常ならざる雰囲気から突然死したことが分かったのである。
青天の霹靂、呆然とするというのはこのことで、2歳年上の先輩だったのだが、お互い直言居士でもあり、とにかく強大な力を持っている輩には絶えず毒づくのを天職のように思ってきたので気が合ったのだ。
職場では気ごころを許した数少ない仲間の一人だったのである。
その彼の描いた絵が蕎麦屋の2階に飾ってあるのは、展覧会を見に来た女将がこの絵を気に入ったからなのだが、日本酒の「浦霞」の一升瓶2本であっさりと手放してしまったのだ。
「バッカじゃないの? なんで死ぬまでの酒代! って言わなかったんだよ」とからかっても、この時ばかりは困ったようなすねたような表情を見せるだけで、普段の毒舌も直言も返ってこなかったのである。
正直で心根の優しい男だったのである。
実はもう1枚、彼の絵はこの店に残されているのだ。
中の明かりが店のガラス越しにのれんの隙間からほのかに漏れてくる光景を描いている。
これは1階に飾ってあるので会って帰ろうと思っていたのに、酔いも重なってつい失念してしまったが、あの絵にだけ会うためにもう一度出かけてこようかという気になっているのだ。
退職したら一緒に遊んでもらおうと思っていたのに…
二合会の句会にも引きづり込もうと思っていたのに…
手作りの額縁に収まって蕎麦屋の2階に掲げられている遺作
こういう景色の一つを切り取っている
店の玄関を描いた作品も残っているのだ。今回は見逃した。会いに行って来なくては
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