気分的には早く入ってもらって、夏至の前辺りには明けてしまってもらい、日の長さをたっぷりと味わいたいものだ、と毎年思うのである。
とっぷり暮れるまで遊びまくっていた少年時代の分だけでは、まだまだ不十分なのである。
夜遅くまで仕事をしなければいけなかった頃と違って、十分に時間の取れるこの頃は、その思いはひとしおである。
わが家近くの田んぼでは田起こしに続いて代かきが始まって田に水を張り始めたから、間もなく田植えが始まるのだろう。
このあたりの田植えは近在の中でもとりわけ遅い方のようである。
例年、ここの田植えが終わるか終らないかの頃に梅雨入りしているように思う。
先日の小笠原沖地震の直前の真昼間に姿を現した2メートル近い“大蛇”が潜り込んだ穴が田んぼの脇にあるが、夜な夜な餌を求めて這いまわっていることだろう。
梅雨時の雨を五月雨というが、印象的な句が多いのもこの季節である。
五月雨の降り残してや光堂
奥の細道を旅した芭蕉が平泉の中尊寺で詠んだ句である。
長年の風雨に晒されてきた中尊寺の伽藍の中で、光堂だけが雨風に当たらなかったかのように光り輝いている、と。
未だ足を運んだことのないところだが、なるほどと思わせ、光景が目に浮かぶようである。
五月雨を集めて早し最上川
これはもう超の字のつく有名な芭蕉の作。
この月末に、東京勤務時代の業界仲間が全国各地から7、8組集い、妻を伴って最上川の舟遊びを予定している。
芭蕉の句を取り上げたのなら、こちらも掲げておかねばなるまい。蕪村である。
五月雨や大河を前に家二軒
床低き旅のやどりや五月雨
五月雨や御豆(みづ)の小家の寝覚めがち
芭蕉と蕪村と、句風の違いは明らかだが、わけても…家二軒、は好きである。
舟遊びで句会になるかと言うと、まずならない。そういう集いではなく、再会を喜んで飲んではしゃぐだけだろう。
目的が違う。それはそれでよいのだ。
ついでに梅雨時の句をいくつか。
渡り懸けて藻の花のぞく流哉 野沢凡兆
川止に手にはを直す旅日記 誹風柳多留
奥能登や浦々かけて梅雨の滝 前田普羅
みほとけの千手犇(ひし)めく五月闇 奥村登四郎
万緑の中や吾子(あこ)の歯生えそむる 中村草田男
万緑や吾は命を染め直し 花葯
最後の句は今から15年前の7月1日、頭蓋骨に穴をあけ、脳内の血管にできた動脈瘤の破裂を防ぐために、忙しい仕事の合間を縫って“決死の思い”で受けた手術の直後に詠んだものである。
手術は8時間もかかったそうで、待っていた妻と娘は随分と心配したらしい。
休んだのはわずか1週間だったが、術後に病院のベッドから見えた広大な緑は今でも目に焼き付いて離れない。
わが家のナンテンの花は今が盛り
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