太陽が顔を出すであろう北寄りの東の空より幾分南に寄った辺りの中空に、細くて触ると折れてしまいそうな三日月がかかっている。
そして、昨日に引き続いて強い風が吹いているが、ヒグラシの合唱が聞こえてくる。
夏の東の空が白み始める時刻にお馴染みの夜明けを告げる蝉しぐれである。
寄せては返す波のような、大きくなったり小さくなったり、合唱の起伏がしばらく続くと、一斉にピタリと鳴きやんで、辺りは再び風が木々を揺らす音だけになってしまう。
今夏初めて耳にするヒグラシの蝉しぐれである。
夏が待ち遠しいのは、この早朝のヒグラシの合唱と、陽が傾き始めると再び鳴きはじめる同じヒグラシの蝉しぐれのためでもある。
ヒグラシの鳴き声は物悲しくて好きではない、という人がいるが、私はそうは思わない。
夏を夏らしく演出してくれるのが朝夕の蝉しぐれで、悲しいというより、まさに夏を寿ぐ音にも聞こえる。
しみじみとした情趣や無常感に染まる「物の哀れ」は、日本人にとって欠くべからざるものなのである。
物事の盛りにこそ、その底に潜む物の哀れを感じ取って生きてきたのが古からの日本人である。悲しいばかりではないのだ。
♪ 雲は湧き 光あふれて
天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは 歓呼に応え
いさぎよし 微笑む希望
ああ 栄冠は 君に輝く ♪
正式には「全国高等学校野球大会の歌」と呼ばれるんだそうだが、夏の甲子園でおなじみの「栄冠は君に輝く」という曲も一緒である。
ヒグラシの蝉しぐれが聞こえなければ夏にあらず。この曲が流れて来なければ夏ではない。ヒグラシの朝夕の蝉しぐれが聞こえてくれば正真正銘、夏であり、夏なら必ずこの曲が流れるのである。
蝉しぐれが聞こえず、「栄冠は君に輝く」が流れない夏を想像できるか? この曲が沈黙する夏こそ「悲しい夏」なのである。
70年前同様にその懸念が出てきているが、まだ希望は残されている。
夏の海水兵1人紛失す 渡辺白泉
戦争が廊下の奥に立ってゐた 同
こんな夏はご免だぜ。
この夏はまだ入道雲は見ていない。あのモクモクとはるか彼方の空高くまで盛大に盛り上がる純白の入道雲も夏の象徴である。
そしてどこまでも青い空。
すっかり緑色を濃くした木々の葉、風の通り道を描く水田の稲穂の緑…
青と緑と白。この3つの色彩こそ夏の色と言ってよい。この3色さえあれば夏は描ける。
ヒマワリの黄色やサルビアの赤がなくたって、十分夏なのである。
5月に比べれば小ぶりになってしまったが、バラの2番花も盛りだし、ベランダのミニトマトは鈴なりで、枝が折れかかってしまうほどである。
ルリタマアザミ、エキナセア、フウロソウ、ルドベキア、ノウゼンカズラ、サルビア、インパチェンス、なぜかまだホタルブクロ…
わが家の猫の額の庭だが、春の盛りの庭に負けず劣らずの花盛りなのである。
そしてクモやトカゲ、飛んでくるシジュウカラやメジロが活躍してくれているせいか、害虫の被害はことのほか少なくて済んでいる。とても良い傾向なのだ。
あとは夏の盛りの到来を待つばかり。
7月14日04:15の東の空。右上に三日月が架かっている。365回の朝がやってくるが、まれな美しさである。今日はパリ祭。
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