ここには種類はよくわからないが、ヤマザクラかオオシマザクラの巨木が何本かあって、このサクラの具合を見に行ったのである。
そのうちの1本は“ご神木”のように幹の周囲5~6メートルを立ち入り禁止にして柵で囲い、根を踏みつけられないように大切に守られている。
胴回りはどのくらいなのか。大人6~7人ぐらいが手を広げてつながなければならないくらいに太い。
花の咲いている梢の先は10メートル以上の上空はるか彼方に広がっている。
肝心の開花具合は5分咲きと言ったところである。
淡い薄茶色の葉も開き始めて花と一緒に競っている。
この“ご神木”の北側にも、向かい合うように巨木が枝を広げている。
こちらは“ご神木”に似ているが、まだ葉の展開が少ないから違う品種のような気がする。
咲き具合は6~7分咲きと言ったところで、“ご神木”より、やや早いようである。
2本とも見ごろはこれからだが、下から見上げると空一面を花が覆っているのがわかる。
見える空は花で覆い尽くされてしまっている。
「春の女神たち」が宿っているに違いない、そんな雰囲気が漂う。
この緑地は住宅街に四方を囲まれているが、生活騒音は届いてこないから、花の下にしばらくいても辺りはシーンと静まり返ったままである。
深山幽谷に分け入ったかのようでもある。
男女のカップルがひと組、花の下で弁当を広げているほか、リュックを背負った女性が1人やってきただけで、ひっそりとしている。
巷の花どころの喧騒とはまったく無縁なのである。
代わりにこの森を住みかにしている小鳥たち、ウグイスをはじめ、シジュウカラや名前の知らない鳥たちの透き通った鳴き声が響き渡っている。
広町緑地の広さは約48ヘクタールもある。
複雑に谷戸が切れ込み、急傾斜の谷戸を形作っていて、見た目以上に険しいところである。
谷戸の奥からは水が湧きだし、流れ出た水は平らなところで湿地を形成していて水生生物にも恵まれたところである。
夏はホタルの名所だろう。
今や鎌倉市内でも貴重な緑地なのである。
この緑地は10数年前、あわやのところで開発計画から逃れることが出来たのである。
今、知事選が始まったばかりだが、現在の知事の前の前の知事の時だった。
48ヘクタール中一部は鎌倉市が所有していたが、多くは開発業者に買い占められていたのである。
鎌倉市は何らの手立ても打てず、手をこまねいていた。
かつて、東京オリンピックが開かれたころに、鶴岡八幡宮の裏手に当たる御谷地区が宅地開発されそうになったことがある。
ここが宅地開発されるとどういうことになるか。
それは段かずら方面から社殿を見上げると、その堂々とした立派な社殿の奥に現在の屏風のような緑の代わりに、ちまちました住宅が立ち並ぶことになるはずであった。
これに仰天し、かつ憤慨したのが作家の大仏次郎らを中心とする鎌倉市民で、反対運動が巻き起こり、買取のための募金活動が始まったりして大騒動に発展したのである。この結果、開発計画は撤回され、現在も前と変わらぬ姿を保っているのである。
日本におけるナショナルトラスト運動の草分けであり、開発から歴史的な環境風土を守るために「古都保存法」が出来るきっかけとなった先駆事例なのである。
そんな先駆事例も踏まえて、保全を求める市民たちの熱意に件の知事がひと肌脱いだのである。
県の緑地保全基金やそれに類する積立金の充当が検討され、同時に土地を所有する民間事業者の理解を得るべく説得作業をして回ったのである。
基金の充当こそ議会に掛けられたが、地権者に対する交渉はすべて水面下で行われた。
こうした努力が実り、行政による全面積の買い取りが実現し、県は気前よく鎌倉市に権利を譲り、後の管理を委ねたのである。
日本で初めての先駆事例に続いて、珍しく、スマートに保全の形が出来上がった好例ではないかと今でも思っている。
ヤマザクラは健在だったが、照葉樹と落葉樹が共存する混交林の芽ぶきは、ようやく始まりかけたところである。
「山笑う」という俳句の季語がある。
芽ぶきの始まった春の山の躍り上がるような明るい感じを指す季語だが、3月末の広町緑地の表情はまだ大笑いには程遠い、「アルカイックスマイル」と言ったところである。
“ご神木”扱いされている大きな古木
“ご神木”に向かい合って枝を広げるもう1本の古木の圧倒的な太い幹と梢の先の空を覆う花
外周からヤマザクラの点在する緑地を見る
こうした小さな流れが緑地のすそにはたくさんある
樹林下の日だまり辺りでは早くもウラシマソウが咲いている
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