「私、外交官になっちゃうんです」
そんな突拍子もない電話が突然かかってきて、意味が良く飲み込めず、じっくり話を聞かねばなるまいと、送別会を兼ねて食事したのが出発4日前である。
行く先は中央アジアにある、かつてシルクロードの拠点都市として栄えた街の日本国大使館。
聞けば、在外公館には医務官が常駐しており、不定期だが時々採用試験が行われるんだという。
どこに赴任させられるかは分からないけれど、たまたま応募してみたら合格したんですと涼しい顔である。
1998年の9月。ちょうど正午ころのことだった。東京の虎ノ門で地下鉄を降りて地上に出ようとした時、異変を感じた。
何か宙を歩いているような、おぼつかない足取りになり、真っ直ぐに歩けず、「変だなぁ」と感じるうちに立っているのもやっとのあり様に、これはただ事ではないと思い、目に入ったバス停のベンチに取りすがったのである。
近くのビルに同業の友人がいることを思い出して携帯電話をかけたところ、運良く電話に出てくれた。
訳を話すとびっくりしてバス停に飛んで来てくれ、救急車を呼んでくれたのである。
搬送されたのは三田にある救急病院。そこで診てくれた若い男の医者にあれこれ助言していたのがM女史である。
女史と言ったって一回り以上若い。背のスラッとしたきれいな女医さんであった。
「血圧が急上昇したようですよ。どこも血管が切れなくて良かったですね。だいぶ下がったので帰っていいですよ」と言われ、「しばらく通院してください」と指示されたのがご縁のきっかけである。
そして2年後の2000年。横浜市に新設された病院に移っていたM女史のもとに通っていたある日、2カ月に一度の診察日に、椅子に座った途端「ありましたよ! 大きなのが」と告げられた。
M女史の話は霹靂のことが多い。
頭の回転が早いためか、話が省略されることが多く、いきなり結論が飛んでくるんである。感度を良くしていないと何の事だかわからないことが、時たまある。「私、外交官に…」という話もそれである。前段が省略されているからチンプンカンプンである。
「あったって、何があったんです?」とこちらは意味が分からない。「動脈瘤ですよ。あなたのは大きくて7~8ミリもありますよ」
こういうのを青天の霹靂と言う。
確かに、勧められて頭のMRIを受けて、脳内の様子を調べたんである。
「どうすりゃいいんですか」と聞くと、家族歴などを勘案すると、放置しておくといずれ破裂する確率が高いという。破裂した場合の生存率や社会復帰の可能性について尋ねると「動脈瘤がある部位を考えると、生存の可能性は30%位。社会復帰できる確率はそのうちの17%」という御託宣である。
17%と言うのがやけに細かい数字だったので、今でも覚えているんである。
そして「脳の血管にカテーテルを通して、動脈瘤に金属製のコイルを詰める治療方法と、頭蓋骨に穴をあけて器具を差し込み、血管をクリップで止める開頭手術がありますが、開頭手術の方が確実なので、お勧めします」とにべもない。
少し考えさせてほしいと、その場は辞去した。7、8キロの道のりをとぼとぼと会社まで戻ったのだが、どこをどうやって辿ったのか、定かでない。
衝撃を受けたのが4月の半ば。結局、8時間に及ぶ開頭手術を受けたのが7月1日。この間は破裂しないように祈る毎日である。
しかるに間の悪いことは起るものである。犯罪の中でももっとも卑劣とされる事件が勃発し、その指揮に追われるハメになった。徹夜が続いて血圧が急上昇したらヤバイんじゃないか、などなど心配が付きまとって気が気ではない。
事件は1週間ほどで無事解決した。
しかし、やれやれとホッとしている暇はない。今度は総選挙である。投開票日の6月25日まで、こちらも陣頭指揮を担ったのである。
早朝の会議やら深夜の情勢分析やら、事件とは違うが、これまた大忙しである。頭に時限爆弾さえ抱えていなければ、どうってことのない話で、むしろ血沸き肉躍る局面なのだが、今度ばかりはどうにもいけない。
内心は恐る恐るの毎日であった。
ひと月以上に及んだ集中期間のクライマックスである投開票日の喧騒が済んだ翌々日の28日朝、かねて「総選挙が終了したら」とお願いしておいた相模原市内の大学病院に入院して7月1日に“ゴールドフィンガー”による手術を受けた。幸い後遺症もなく、10日足らず休んだだけで無事に生還し、社会復帰できたのである。
まぁ、カミさんや娘たちには心配をかけたが、このM女史の「一度、念のためMRIを撮っておきましょうか」という判断がなければ、どうなっていたことか。
M女史はしばらくして臨床の現場を離れることになり、それが5、6年経った後の突然の“外交官転身”であった。
「全身管理をしてあげるわよ」と言ってくれていた、頼りになる主治医が遠く離れて行ってしまうことは実に残念であるが、人には様々に事情や生き方がある。
元旦に届いた年賀状に「いただいた横浜イングリッシュガーデンのカレンダー、医務官室に掛けていました」という添え書きに頭をかいた。
あれからひと月も経ってしまった。ようやく重い腰を上げて、雪にこそならなかったが南岸低気圧の接近で冷たい雨が降り続く中を郵便局まで出かけてゆき、送料600円なりの航空便を出してきたのである。
日がさせば花弁を開く可憐なハナカンザシも冷たい雨に固く閉じてしまっている
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