平方録

蕎麦にあって蕎麦にあらず

無性に懐かしい味、というのがある。
世間的な評価基準からみれば、とてもグルメなどと言えないシロモノでも、無性に食べたくなる味のことである。
余り大きな声では言えないが、横浜の仕事場近くにあった立ち食いそば屋の430円の「かき揚げ蕎麦」がそれ。

作り置きされていたであろう冷えたかき揚げを蕎麦の上に乗せ、それをおもむろに蕎麦の下に潜り込ませて汁をたっぷり吸わせ、ころ合いを見計らって口に運ぶのである。
蕎麦が美味しいわけでもない。香もないし、蕎麦の形をしているだけである。
汁が美味しいわけでもない。この汁にも香りがない。
かき揚げの中身にしたって、タマネギとニンジンくらいである。しかも安っぽい油で揚げてある。

この、さして美味しくもない3者を口に運ぶのである。
かき揚げは汁を含んでぐったりと箸に絡みつく。よしんばカラッと揚がっているかき揚げでもそうして食べるのは、かき揚げだけ食べたのでは、冷えてしまった上に油がまずくて食べられないからである。
そんな食べ物なら、金輪際口にしなければいいようなものだが、そうはいかない。
これが無性に懐かしいのである。説明なんかつかない。
ほかの店のものでもダメである。

この食べ物は仲間とわいわい言いながら食べるものではない。
1人でひっそり、それも大急ぎでかっ込むのではなく、しみじみたぐるのである。

俺は今、こういうものを食っている…

この店に足を運んだのは9か月ぶりである。
1時過ぎの、喧騒が終わりがらんとした店内では、やはり一人ぼっちの客が、比較的年齢の若い客がやはりしみじみと食べているのである。
立ち食いそば屋なのに、椅子席ばかりが並んでいる店内では、サービスセットでついたどんぶりご飯と一緒に、いとおしそうに口に運んでいる。
しみじみ、いとおしそうに食べているから店内に活気が満ち溢れるというような事はない。むしろ切ないと言ってよいくらいである。
それが、この立ち食いそば屋なのである。空気なのである。

「これが蕎麦だ」と言われるような蕎麦を山形の友人に何軒か案内してもらった。
そういう蕎麦とは全く次元の違う蕎麦なのである。
「これでアンタも不幸の始まりだ。本当にうまい蕎麦以外口にできなくなるよ」というのは、身にしみて感じているが、ここの立ち食いそば屋のかき揚げ蕎麦は蕎麦であって蕎麦ではないのである。

味は変わっていなかった。
またしばらくして足を運ぶことになるのだろう。



気象台の開花宣言どおり、横浜イングリッシュガーデンのソメイヨシノも開花した=2015.3.23
以下は春の香りと装いに染まり始めた園内





















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