2月中旬にわが家にお招きして粗餐をお出ししたのだが、それ以来である。
若殿が生まれたり、姫の面倒を見たりで大忙しだったので、それどころではなかった。
大先輩の家の庭にはサクラが3本植えられている。
その満開のサクラを拝見に行ったのだが、狙いはズバリと的中した。
2本の薄く上品なピンクと、白い花びらに緑がかった薄茶色の葉が一緒に出てきているサクラと合わせて3本が真っ青な空に、時折枝をユサユサ揺らせている。
その風に、時たま花びらが舞う。
2階の窓辺にテーブルを出していただき、差し込む日を浴びながら花見酒としゃれこんだ。
サクラというもの、花見というものは概してサクラの木の下でやることが多いが、2階からはサクラを見下ろす形になるのが新鮮である。
続く屋並みの上にぽっかり浮かんだサクラの塊は陽を浴びて輝くようである。
並んでいる紅葉の若葉の、それこそ一足早い新緑も見事にサクラを引き立てている。
実にのどかな昼下がりの、らんまんの春である。
3本のうちの1本はまだ小学生に上がる前に、父親に連れられて鎌倉との境の山に分け入って掘り出してきたものと言う。
残りは時宗大本山の遊行寺境内の市で買い求め、もう1本はお嬢さんの中学卒業時に学校で配られた苗が成長したものだそうだ。
「我が町でこれほどのサクラが庭に植わっているところはない、と密かに誇らしく思っているんだよ」と顔をほころばせるだけのことはある。
花がびっしりついていて、サクラの木にしてみればさぞ重かろうと思うほどである。
実に見事なものである。
庭の片隅に掘った穴に生ごみを捨て、秋になるとそれを掘り出してサクラの根元に鋤き込んでいるのだという。
そういう隠れた作業があって、栄養をたっぷりと吸い込んだサクラが恩返しに、精いっぱいの花を春に咲かせているのである。
話の中で大先輩から「あの広町のサクラは健在だろうか」と質問されたので、先日覗いてきた話をした。
保存に一方ならぬ尽力をされた緑地である。
その満開のヤマザクラの大木にご案内したことがある。もう6、7年も前のことになる。
その時の印象が残っているようである。
時期的に今年はもう無理かもしれない。第一、天気が崩れそうなのである。
宴の途中からお孫さん2人が加わった。
同じ敷地の別棟に暮らしている息子さんのお嬢さん2人で、幼稚園に通っている4歳とまだ2歳の女の子である。
なくなった奥さんの面影が2人によく現れていて、目のクリっとした可愛い姉妹である。
お土産にお菓子の小さな箱を買ってきておいてよかった。
早速2人にあげたところ、箱をバリバリ開けようとするあたりは無邪気そのもの。
上の子は敬語を使ったりして、おしゃまである。
すっかり気持ち良く、ほろ酔い加減ともなり、2人のお孫さんと甲斐犬の秋太に見送られて長閑な春は過ぎていくのである。
今を盛りと咲き誇る
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