金箔が張られた光り輝く仏像と違って衣装や肌がそのまま人間のような色調で彩色されている仏像だから余計に生々しく感じられたのだろう。
顔つきはとてもふくよかで、かつ穏やか。かしこまって祈りをささげるような対象とは違って、そばにいるととても気持ちが安らぎ、心の底から安心できるような雰囲気を辺りに発散しているというか…
それだけでもう何をかいわんやなのだが、像の後ろに回ってみるとこれがまたドキリとさせられるのだ。
肌があらわになった首から肩、そして二の腕へと連なる曲線が撫で気味になっていてとても女性的で色っぽく、さらに肩から腰に掛けてのくびれ具合と、くびれたところから再び盛り上がる腰にかけての張り具合と言ったものが重なって、もう艶めかしくて艶めかしくてクラクラしてしまった。
圧倒的な存在感と深い精神性を湛えた興福寺の無著菩薩立像、世親菩薩立像の作者にして、東大寺南大門のあの荒々しい金剛力士像の阿形の作者である運慶の作と伝えらえる滝山寺(愛知)の梵天立像のことである。
こんなにも優しい像も造ったのだ!
運慶と息子の湛慶の合作で源頼朝供養の像と伝えられているそうな。
何はともあれ、どこぞの美術館でも博物館でもいいから「艶めく仏たち」なんてテーマで企画展を開いてくれないかなぁ。
後付けの知識だが、この梵天立像が安置されている滝山寺にはこのほか聖観音立像と帝釈天立像があって寺宝の三尊像として名をはせているらしい。
いずれも運慶、湛慶による合作だという。
愛知県岡崎市の天台宗のお寺だというから一度覗きに行ってくる価値はありそうだ。
話が脱線してしまったが、要するに金沢文庫で開かれている「運慶展」を見てきたのだ。
昨年秋に上野の国立博物館で開かれた「運慶展」の余韻が残っているのだろう、小さな金沢文庫には意外とも思えるほどの人が詰めかけていた。
それだけでも驚きで、運慶の人気はず抜けているようである。
ただ今回の名称こそ運慶だが、実際に運慶作と断定されている作品はごく少数で、ほとんどが運慶工房や運慶派の仏師たちが作ったとみられる「運慶色」を色濃くまとった仏像群だった。
運慶派の仏像の特徴を外観でとらえるなら躍動感とか臨場感ではないか。
それまでの立像が押しなべて直立して突っ立っているのに対して、運慶以降の作品は片足に重心がかかり、腰つきもそれにつれて身体の中心線より外側に出ているから、如何にもすぐに動き出しそうに見えるし、生身の人間の立ち姿を彷彿させる現実味の伴った作品になっている。ある意味では写実的でもあるのだ。
今回初めて認識したのだが舞楽面というのも運慶は彫っていて何点か出品されていたが、近所の瀬戸神社に伝わる「抜頭面」というのは一目見たら忘れられない印象的なお面で、さすがはとうならせるに十分な迫力だった。
運慶に交じって快慶作と伝えられる阿弥陀如来立像及び両脇侍立像というのが出品されていた。
鎌倉・大町の教恩寺に安置されている仏像で、金剛力士像を一緒に作った快慶の作品は珍しい。
しかも、妻の習字の先生の先生の寺なので妻は食い入るように眺めていた。けいこの時にでも話のタネにするのだろう。
金沢文庫はシニアの入場料が200円だった。なかなかよろしい。
運慶・湛慶合作とされる梵天立像
金沢文庫が併設されている称名寺
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