タネから育てたパンジーの苗を定植しきれていないし、肝心のバラのせん定には全く手が付いていない。
百歩譲ってバラは年明けのせん定でも不都合はないが、パンジーは遅いくらいだ。
しかもパンジーを植えるつもりのところには雑草が芽を出していて、このまま放置しておくわけにもいかない。
幸いに風がそよとも吹いていないのだ。
曇天で太陽の光が届かない状況で北西の季節風にでもさらされるようだと庭作業どころではないのだが、背に腹は代えられないという判断だった。
先ずは地べたにはいつくばって草取りから始めたのだが、至誠天に通ず…ってところかどうか、雲の切れ間から太陽の光がこぼれてきて、3時過ぎまで穏やかな光を届けてくれた。
思いがけない光のお歳暮ってところだ。
毎回書くことだが、ボクは草取りが好きで、雑草を抜いている時は何も考えずひたすら何時間でも草取りしていられる。
現役時代は特に、いつもくだらないことで頭を悩ませたりしていたので、そういうものを断ち切るのに実に好都合だったのだ。
自転車を漕いでいる時も同じような作用がある。40代から50代の半ばまでの働き盛りのころにはシーカヤックも持っていて不定期ながら休みの日には海が荒れていさえしなければ一人で相模湾に漕ぎだして、群れから離れる貴重な時間を確保していたのだ。
頭の中を空っぽにして何かに没頭するというのは、精神の安定を得るために欠かせないし、第一すっごく気持ちが良いものなのだ。
これを禅寺に出かけて行って改めて坐禅を通して実現しようとすると、次から次へと些末なことが頭に浮かんできては消えていき、100年じっと座っていたって「無」の境地になんか到達できないだろうと絶望的な気持ちにさせられてしまうのだから、世の中というのは不思議なところだ。
まぁ、ボクの場合は「修行がたんねぇ!」の一言で片が付いてしまうんだろうが、それが、地べたにはいつくばって草取りをするだけで無心になれるのだから、何をかいわんやなのである。
坊さん連中、特に禅寺の坊主の中に草取りを好むモノ好きがたまにいるが、金儲けのことばかり考えているような坊主よりはよほど好感が持てるね。釣鐘と提灯の差がある。
話がそれたが、結局庭には4時間あまり出ていて、雑草はきれいに抜き終え、株立ちのバラ5本のせん定も終えてしまった。
根を痛めないように株元を掘り返してたい肥と肥料をたっぷりと施しておいた。
寒肥ってやつで、これを施すと来たる初夏にはとてもきれいに花を咲かせてくれる。
今年は台風24号号の狼藉による塩害がひどく、わが家のバラもだいぶ痛めつけられた。それで少し高価だが効果は顕著だと折り紙付きのバラ専用の肥料を奮発して与えたので、楽しみが増えた ♪
パンジーの定植が残ってしまったが、こちらは穴を掘って肥料を一つまみ入れて植えるだけだからちょこちょこっと短時間で済むから、今日中にと思っている。
残るはつるバラ7本と鉢植えのバラ5本が残っている。
でも、その前に大掃除の手伝いでガラス磨きに取り掛からねば。
上と下で何枚あったっけ?
せん定したのは「ブラッシング・アイスバーグ」3本、「バーガンディー・アイスバーグ」「ノリコ」それぞれ1本
台風で秋バラがダメだった分〝冬バラ〟を咲かせていたが、みんな切り取って花瓶に移ってもらった
近所のバス停脇のケヤキの大木が塩害にやられて葉が全て落ちてしまい、今頃になって新緑を芽吹かせている
何とも痛々しいことだが、植物のしぶとさは折り紙付きで、来年の芽吹きにはまた新たな芽吹きを見せてくれるはずである
コメント一覧
平方録
高麗の犬
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事