月曜日の登校初日から欠席では一大事である。
近所の医者に見せたところ案の定、姫の喉は赤くなっていて風邪のひき始めと診断された。
ピッカピカの1年生と大いに遊びまくろうと思っていたが、安静にしていなければならない。
幸いと言うか雨が降っていたので、家の中で保父さんを引き受けて日がな一日、トランプやらオセロやらのゲームをしたり、ビデオのアニメを見たりして過ごした。
買い物には喜び勇んでついていく姫が、家でじいじと遊んで待っていなさいという母親の言いつけに素直に従うのだから、具合は悪かったに違いない。
それにしても入学式場のだだっ広い体育館は底冷えのする寒さであった。
姫以外にも体調を崩した新1年生がいるのではないか。
登校してすぐに休みが挟まってしまう金曜日の入学式と言うのは、間が抜けるものだなあと思っていたが、2日間の仕切り直しを置いたのは体調を崩す子を想定して意図したものなのか。
ともあれ、土曜、日曜と体調を取り戻す時間があって、これは天恵のようなものである。
もらった薬が効いてきたのか、熱は下がり気味となり、食欲も十分で、好物とはいえ夕食に出されたパサパサモサモサするキャベツの千切りなどもモリモリ食べるので、どうやらそれほどの心配はいらないようである。
日曜日も家で静かにしていれば、すっかり治るだろう。
授業が終われば学童保育にお世話になることになっていて、そこにはひと足早く通い始めている。2年生のお姉さんお兄さんと遊ぶのがとても楽しいらしい。
動機は何であれ、友だちと交わるのを楽しみにしているのだから結構なことではある。
そういえば入学式で校長が父兄に向かって「わが小学校では勉強するための方法を教えることに力を入れていきます」と言っていた。
知識を詰め込んでいくのとは違います、というようなニュアンスで受け取った。
それを聞いて「あれっ」と思ったのだが、小学校って勉強するための方法を学ぶところだったんだっけ。
大学と言うところはまさにそういう真理の極め方、あるいはその方法、ヒントのつかみ方、そういう指導を受け、実際に挑戦して行くところのような気がするのだが…
それも学習の狙いのひとつだろうけど、じゃあ実際の小学校での勉強は誰が教えるんだ?
「1足す1は2」ということを、なぜそうなるかを教えるんだろう。「10引く3」がなぜ「7」なのか、それを教えるところだろうに。
それが勉強なんだろ。それを習ってきて、家でもドリルをやったりして身につけていくんだろうに。
そのことを指して「勉強するための方法」と言っているんだったら、言い方が違うんじゃないのかね。
どうも釈然としないんである。
だから多くの児童生徒が「勉強を習いに」塾へ通うのか。
そうだったのか。校長自ら入学式で宣言するのだから驚きである。
わずか28人ばかりの児童に、勉強も、勉強の方法も、力を入れて教えてほしいものだ。
文部科学大臣はこのことを知っているのかい。政権は敢えてボンクラばかりの国民を生み出そうとしているんじゃないかと勘繰りたくもなるね。
こういうところにも日本という国のほころびを感じてしまうのである、と言ったら言い過ぎなんだろうか。
教育に力を注がない国は滅びて行くか、衰退して行くしかないんである。
公立小学校って何をするところなんだよ。
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事